2013年11月10日日曜日

歪めて建てるメンタリティー

  全く勉強したり調べもせずに述べるのだが、東大寺大仏殿の回廊も春日大社の回廊も、地面が傾斜しているとおりに傾斜して歪めて建てられている。そのメンタリティーの淵源がどこにあるのだろうかと常々不思議に思っている。

 大仏殿で言えば、本殿と同じように地面を真っ平にして回廊を造ることは可能だろうし、その方が技術的には簡便だと思う。
 古墳時代の石棺なども徹底して加工しているし、技術の問題ではないと思う。
 土地の神に遠慮したとも考えられない。
 あのように地面に沿って歪める方が美しいというか有難いというか、そういうメンタリティーだと想像する。
 それは奈良時代の感覚なのか、室町以後の建てなおし時の感覚なのか、法隆寺の国宝部分の建物を調べれば何かが解かるかもしれない。
 
 ただ私は、このように自然(地面)に遠慮して、土地の歪みのままに折り合いをつけて建てさせていただいているという感じは好きである。

 私の若かった頃は一言でいえば高度経済成長の時代で、自然を加工し征服するのが進歩であるかのようなメンタリティーが主流であった。
 建物や製品のデザインも素材も、人工的でシャープで工業的なものが尊ばれた。
 振り返ってみると、それは普遍的な近代主義でもなんでもなく、ただただアメリカのプラグマティズムに毒されていたんだと今でははっきり解かるのだが。
 その結果、「人類は自然を制御できるんだ」というような傲慢で大間違いの意識を持ったように思う。
 その帰結が原発ではなかっただろうか。
 原発推進論者は脱原発の主張を「情緒的主張だ」と言う。
 それに対して、私は真っ向から論理的に反論できるが、あえて「情緒的で何が悪い」と居直ろうかとも思っている。
 この国の文化は自然との共存であり自然に対して遠慮するのがこの国のメンタリティーであるのだと。

6 件のコメント:

  1.  私の隣町に窪川町(現・四万十町)と言う自然豊かな太平洋に面した美しい町があります。
     1970年代この町に「窪川原発を作る」話が実現しそうになり、十年以上に及ぶ大反対運動がありました。電力側は、財力をバックに金でほっぺたをたたき、誘致運動を展開しました。実例として、人口18000人の町民の内8500人もの町民を原発稼働地域に大名旅行させています。十三億円は使ったそうです。
     このような中(町長も推進派)、共産党の原発反対集会に一人の自民党員が乗り込んできて、「私も原発反対住民会議の一員にしてほしい。」と大演説を打ったそうです。その人は当然自民党員を除名されました。そのような住民の闘いの結果、窪川町の「原発推進室」は廃止されました。
     私の家は、窪川原発予定地から数十キロしか離れていません。今後、大規模な津波を伴う「南海地震」が予想されています。本当に、本当に窪川原発を廃止にしていただいた市民、住民に深く感謝しています。
     自分でコントロールできないもの(原発)を作ってはいけないことは常識です。糞尿を撒き散らすと訳が違いますから。
     自然に逆らうことは絶対に出来ません。今も地球は確実に太陽の周りを秒速30キロメートル時速10万8000㎞で走っています。

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  2.  「核廃棄物の処理方法がない原発を作るのは、トイレのないマンションを造って売るようなもの」と言いますが名言だと思います。
     小出裕章さんは、使用済み作業着などの低レベル廃棄物ですら300年、高レベル廃棄物はガラス固化体に固めて地下300~1000mの穴の中に100万年貯蔵すれば何とかなるというのが政府の無責任極まる方針だと言っています。
     この国は、原発が動き始めてから47年、明治維新から145年、討ち入りから311年、卑弥呼から約1800年です。
     私にはどう考えても「狂っている」としか思えません。
     そしてこれからは「原発のここがこのように危険だ」と言えば特定秘密保護法で投獄です。
     窪川のように、国を挙げての運動に努力したいものです。
     さて、津波対策はその土地土地の条件で検討しなければならないでしょうが、私が昔住んでいた堺市の海寄りの地域では「津波避難ビル」と表示されたビルが多数ありました。
     また、テレビの受売りですが、土地があるなら、建物を建てるよりも里山公園のような小山を造る方が格安らしいと聞いてちょっと納得しました。
     バーベキューサイトにしておけば、花見にも避難にも使えそうですね。

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  3. 自然を征服して人間の思うように改造できるという発想は1960年代後半までは世界中でかなりありましたし、そういうのを賛美する小説も映画もたくさんありました。木下恵介監督の「この天の虹」は八幡製鉄所の煙突の煙にかかる光化学スモッグを「天の虹」にたとえるという、いま見るとものすごい作品です。一方で、社会主義国は公害が発生する理由がないと言われていたのですが、70年代にはソ連でもバイカル湖の公害などが告発され、東欧諸国にも深刻な公害があることが明らかになりました。ソ連時代のカラクルム運河、エジプトのアスワンハイダム、中国や北朝鮮でもこうした計画はあったわけですが、今はドバイの人工島かもしれません。それはともかく、科学は本当は人間を謙虚にするものなのでしょうが、その道のりはまだまだ遠いようですね。

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  4.  私が小さい頃は子供たちが、自動車が走り抜けると道路に飛び出していって「いいにおいやなあ」と排気ガスをおもいっきり胸に吸い込んだものです。
     青年の初めは「スプートニクが地球を飛び出した」と、自然科学と社会主義を信じました。
     そして、「原爆と原発は別やろう」と、何んとはなく原発は制御できるように思って来ました。
     勉強不足で浅はかであったと深く悔やんでいます。
     いま原子力の各種委員会に御用学者が「活用」されていることは論外としても、技術的な専門家と言われる人以外に、哲学者等も加える必要があるのではないでしょうか。

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  5.  その通りだと思います。わたしの知り合いで酪農に精通したも農協職員は、「牛は本来は本当に気性も穏やかで人間の心も分る優しい動物や、食糧を与える人間が住めなくなった福島の牛は惨い。」と飢餓で飢え、荒くれている家畜の牛をテレビで見て涙を流していました。動物やからと言って、放射能、飢えで殺すことは、哲学的にも許されないことだと思います。

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  6.  フクシマの棄牛?の話ありがとうございます。
     資本の論理を一言でいえば「我が亡き後に洪水よきたれ」でしょう。
     こういうモラルハザードをどうしてマスコミは問題にしないのでしょう。
     マスコミ自身が大企業となった現在、それは望むべくもないことなのですね。

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