先日、奈良、京都、鎌倉三都市の文化遺産を守る市民運動をしている人々のフォーラムがあった。
そして鎌倉からは、「武家の古都・鎌倉」を世界文化遺産に登録させようと努力してきたが、現在いささか挫折感を味わっている・・・というような発言があった。
その中で発言者が、鎌倉幕府成立の意義に触れ・・・・・、
「都の貴族たちから東夷(あずまえびす)と馬鹿にされてきた坂東武者は、西国とは桁違いの開墾を成し遂げ、これを正当に安堵してくれる政権を望んだんだ。」
「鎌倉幕府と武士による文化は、都から蔑まれていた東国の全く新たな時代の幕開けだったのだ。」
・・と鎌倉の都市と文化の歴史的意義を力説するのだが、その熱弁ぶりが、まるで現在の京都に対する関東の耐え忍んできた独立宣言のようで、反対に言えば、この場が中世の終わりの場面で、京都や奈良の参加者が公家の代わりに被告になって弾劾されているような、あまりに熱っぽい発言だったのが可笑しかった。(というような可笑しがり方をしていたのは私だけかもしれないが。)
これも一種のお国自慢なのだろうし、その郷土愛こそが文化を守っているのだと私は思う。
私もこのブログで、飛鳥時代や奈良時代のことを度々書いているが、読者の皆さんには「何がそんなに面白いのん」「それが現代社会の直面している諸問題と何の関係があるのん」と軽蔑されているに違いない。
とまれ、奈良県では今、平城宮跡がコンクリート舗装されテーマパーク的に「復元」されようとしている。(地中の木簡腐朽の危機である。)
若草山にモノレールを這わして観光客を呼びたいと言っている。(春日山原始林のバッハゾーンにである。)
何れも私は反対である。観光政策推進には全く反対ではないが、その観光政策の各論の発想が下品だと思うからである。
お国自慢の精神でこの都市の品格が堕落するのを看過できないと思うことは、極めて現代的課題だと考えている。
高知では、宴会のことを「お客」(オキャク)と言います。昔は、神祭の時などは時は知らない人がお家に上がり込んで「お客」に参加していました。参加しても喜ばれることはあっても、嫌な顔されることはまずありませんでした。そう言うお国自慢が最近は無くなりましたが、高知の若者は「偉い」繁華街のアーケードで「お客」(オキャク)をやり始めました。新聞始めマスコミは報道するし大変な賑わいです。これは堕落でしょうか文化でしょうか?私は郷土の自慢の文化と、勝手に思っています。
返信削除正直に言ってイメージがつかめないのですが、アーケードの下で宴会をするのですか?
返信削除お国自慢は誇りの裏表です。東京本社の方々は、本社の指示に忠実な人を「可愛い奴や」と言いながら軽蔑し馬鹿にしています。というようなことは各種の場面で共通する真理です。
この国の現代では、お国自慢は未来を切り開くキーポイントだと思っています。
柔らかい発想が、郷土の自慢の文化と思っています。毎年3月ごろ約10日間イベントは行われます。皿鉢料理や地元のB級グルメもたくさん出ます。地酒もたくさん並びます。アートありダンスあり、よさこいあり、音楽もフォークやジャズや軽音あり、トークありで子供から老人まで皆楽しめます。
返信削除TVで見た覚えがあります。アケードの地べたにゴザを敷いて、なが~くつながって大宴会をするやつでしょう。同じような宴会は、高倉健さん主演で「単騎千里を走る」という映画の中に出てきます。何かの祝い事で街中総出で、通りに机を並べ大宴会をする場面がありました。
返信削除山形の芋煮会に通じる感性でしょうか。私は好きです。
返信削除ひげ親父さんの言っている宴会です。好きな物を食べて飲んで、好きなミュージックを聞いて好きなアートを見て誰に気兼ねなく、ぶらっとする一日が送れます。少しリッチになった気分になれます。
返信削除私は知りませんでした。楽しそうな雰囲気が伝わってきます。
返信削除ただ、地べたにゴザでリッチ?????
説明不足でしたがTVで見たのは高知の話、映画の「単騎千里を走る」の中に出てくるのは、中国の田舎の街の話で、そのスタイルと、誰でも歓待するという点が似ていて面白いな~と思いました。
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