そろそろと病は抜けぬが再起動
「リタイア生活で困ったことはAIについてすぐに尋ねることのできる同僚が近くにいないことだ」と以前に書いたが、その感情は今も同じである。 同じような愚痴をこぼしていた妻はある意味ごく簡単に、解らないことはすぐに娘に尋ねて私よりはるかにスマホを使いこなしている。
さて「辞書不要で解らなければ検索する」というのが教育・学習として良い事なのかどうかは解らないが、事実として義務教育中の孫は辞書を持っていない。
それでも千畳敷カールのことを詠んだ俳句で「圏谷」と書いてカールと詠むなどはパソコンの検索機能の成果であろう。・・というようなことに驚いているということは、私が世の技術の進歩に取り残されつつあるということでもある。
考えてみれば私が就職したころは職場にはまだ電卓がなく書類の審査は大変だったから、そう考えれば「スマホが苦手だAIはどうも」という意見や気分は、それを当時に当てはめれば「算盤と筆算があるから電卓は嫌だ」と言っていることに近い。
それはさておき、よくスマホに『知らない植物の名前がすぐに解るアプリ』という広告が入るが「メリットデメリットはどうだろうか」と娘に聞いてみたところ、「何を言ってるの!お父さんのスマホにはすでに入っているで」と教えてくれた。Googleレンズのことだった。いつも普通に文字で検索をしていたが、その検索窓口にあるそのアイコンは全く無視をしてきていた。
念のため庭のけっこうレアな木の葉っぱを検索したらクロバナロウバイと瞬時に正解を表示した。オミソレシマシタ。主として葉の形から樹木の種類を検索するけっこうマニアックな本を持っているが、その本ではここまでたどり着けない。
ただ、この便利さは人類総体としての知恵を劣化させないだろうかと心配する。孫の世代の未来世界を見学してみたいとも思うが、見学するまでもなく思考するのが先人の責任だろう。ハイ。
この記事は、公取委がGoogleに、検索アプリ独占の排除命令を出した問題とはとりあえずは関係ない。
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