ラジオなどを聞いているとパーソナリティーなどが「コオロギなんかもう鳴いていますか?」という感じで二人ぐらいで会話をしている。きっと都会人なのだろう。この感覚が放送局に出入りしている人々の「普通」なのだろう。きっと。
ちなみに、わが家から1分の草地では以前から文字どおり大合唱が演じられている。その草地の自然の豊かさは比較的ズボラで放ったらかしの地主(企業の研究所?)のおかげであるのだが・・。
さて私はというとコロナや猛暑で巣ごもり状態だから、近頃は夜道を帰宅するとか散歩することもなく、反対に歳のせいで目が覚めて夜明け前に散歩したりという少々アブノーマルな生活なので十分観察(聴くこと)もできておらず正確ではないかもしれないが、今年の我が街ではアオマツムシの声があまり聞こえない。
例年なら、騎馬民族征服説並みにヤマトの虫たちを凌駕して秋の野を我物顔にしているアオマツムシがである(それとも未明には鳴かないのだろうか)。
先の草地だが、ツヅレサセコオロギ、エンマコオロギとあとはクツワムシみたいな割合特徴のない虫たちの中で、リーンリーンのスズムシ、チンチロリンのマツムシ、スイッチョンのウマオイは三大声楽家だとつくづく思う。
”生”に彼ら(基本的に♂だから彼ら)の声を聴くのは、脳やメンタルヘルスにも良いように思う。大都会の人々は便利さと引き換えに何かを失っているのでは・・などとも思う。読者のみなさん、虫の声を聴いていますか。腐敗した政治に怒ってばかりでは此方のメンタルも劣化しませんか。
個人の感想だろうが、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は随筆のなかで、「日本人と古代ギリシャ人とは自然に対する感性が現代西洋人よりはるかに優れている」と述べている。
鳴く虫を飼ったりして楽しむ文化は世界中にあるようだが、平安時代に「虫撰(むしえらび)」といって宮中に鳴く虫が献上されている記録がある。
これから1か月ぐらいは俗っぽいニュースばかりが飛び交うだろうが、たまには虫の声をしんみり聴きたいと思っている。
以前に書いたことがあるが、昔勤務していたこともある大阪市阿倍野区に、阪堺電車(チンチン電車)の「松虫」という美しい名前の停留所がある。謡曲「松虫」の地である。テーマは友情で、例によって亡霊が出てきて昔を語り終え、〽虫の音ばかりや残るらん、虫の音ばかりや残るらん、と閉じていく。
松虫の声 アイスがなつかしい
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