折口 信夫(おりくち しのぶ、明治20年―昭和28年)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。
さて、敗戦時、GHQによって存続が危ぶまれる大学が2つあった。伊勢の神宮皇学館大学と国学院大学だ。ともに国家神道の教学を担っていた。その折、折口は火中の栗を拾い国学院大学の神道教学の責任者になったのである。私は保守の人士がこの大先輩の労苦を思わないのが不思議でならない。
沖縄本島、先島、台湾の調査旅行から帰って来た折口は9月4日に横浜に上陸し、東京の自宅に戻る途中、この虐殺に遭遇し目撃し、折口自身も警察、軍隊、自警団、の「検問」を何度も受けた。君が代を歌わせたり、教育勅語を暗誦させたり、「イチエンゴジュッセン(1円50銭)」と言わせたり。
そして、可愛い(顔よき)子供すらも撲殺する側の殺人者になっていたことに彼はショックを受けた。その時のことを追懐して詠んだ歌が、 国びとの 心(うら)さぶる世に値(あ)ひしより、顔よき子らも、頼まずなりぬ であり、『砂けぶり』という詩であった。『砂けぶり』は数次にわたって改作されているが、1947年の『砂けぶり二』では、おん身らは、誰を殺したと思ふ 陛下のみ名においてー。 おそろしい呪文だ。陛下万歳 ばあんざあい と告発、抗議したのだった。明治憲法下の日本人の自己批判でもあった。
著者の上野誠は、「殺害された朝鮮人の数は、政府発表では231名となっているが、今日、多くの研究者たちは数千人単位で推定している。近時は中国人の殺害もあったことが明らかになっている」と述べている。とまれ、その数字の差異にどれほどの意味があろうか。
己を革新というか保守というかはどうでもよい。その前に歴史に真面目に向き合うことが人として大切だ。そういう意味で、私は小池都知事を軽蔑する。
糞虫の図鑑眺めて静養す
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