いわゆる恵方巻(巻きずしの丸かぶり)は戦前から大阪の一部地域では知られていたようだが、大阪ずしの老舗である大阪船場の吉野寿司でも1950年代(昭和30年頃)には特段の売り出しはしていなかったと記憶している。(篠田統著「すしの本」には大正初めには大阪の一部にはあったとあるが)
私の知る限り昭和30年過ぎの頃、大阪海苔問屋組合が力を入れて大阪鮨商組合がそれに乗って大々的にチラシを作って(何回目かの)宣伝をし始めた。
遠い記憶ではあるが、中国か日本の古典を引いて、そのようなものを丸かぶりにすると厄が払えてよいことがあるというような結構格調のあるものだった。
大々的に販売を増やそうというのに、巷間伝えられている「花柳界のしきたり」みたいなアホな宣伝ではなかった。
そういうチラシを見せて「これからこういう宣伝をしていくのだ」という父の話を聞いていた私は小学生であったが、流行の先端に接している気分になっていた。
が、両組合の宣伝戦略は功を奏しないまま時は流れた。
で、1970年代にチェーン店を持つスーパーが販売戦略にこれを掘り起こしてから、テレビが報じるに及んで今日のブームとなった。
そんなもので、「商業主義の産物だ」「売れ残りが勿体ない」とかいろいろ批判めいた反論も含みながらも、バレンタインデーや土用の丑の日やハロウィンに伍してデパートやスーパーの「年中行事」の座の一角を占めるまでになってきた。
私が現職で某事務所の所長であった際も、福利厚生としてその日には全職員に老舗の恵方巻を配って喜ばれていた。
それにしても、結果論だが、このデパートやスーパーの宣伝が広まったには深い理由がある。
それは、これを理由に、主婦(夫)が夕食を手抜きできるという大きなメリットのことである。
わが家でも「今晩何にする」と聞かれて、「何でもええ」と答えると妻の機嫌は悪くなる。毎日毎日の献立に費やす主婦(夫)のエネルギーはすごい。
それが、この日は堂々と「節分やからね」と恵方巻とイワシで夕飯は済むわけで、それに文句を言う相方には「伝統は大事にせな」と言えばよいのである。
そういう意味では、主婦(夫)層に絶大な支持が生まれたのだと私は分析している。
いったん恵方巻のメリットを覚えた主婦(夫)が生まれた限り、このブームは持続するに違いない。
日頃夕食も作らずに「商業主義だ」とかなんとか演説する配偶者は世間の情を知らないと言うしかない。
夕飯の煩い落とすや恵方巻
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