つい先日まで阿倍野ハルカスで『奈良西大寺展』が開かれていたのでご承知の方も多いだろうが、西大寺中興の祖、興正菩薩「叡尊」は1281年(弘安4年)7月蒙古来襲(弘安の役)の際、石清水八幡宮で異国退散の祈祷を行い、叡尊が「東風を以って兵船を本国へ吹き送り、来人を損なわずして所来の船を焼失せしめ給え」と祈ると、石清水八幡宮の上空で、雲の中から西大寺「
愛染堂」の秘仏、国重文「愛染明王座像」が持っていた鏑矢(かぶらや)が現れたと言われている。・・と、奈良の歴史の先生に教わった。
結果的には台風により大量の元の兵士が水死したが、叡尊が「元軍を損なわず(殺さず)に元船を本国へ吹き送れ」と祈祷したというのにはちょっと驚かされる。
鎌倉期仏教諸派の激しい論争では幾らかの批判も受けているが、その文句なしの社会活動の実行力と併せてみると、叡尊の祈祷内容の持つ意味はとても重いと私は評価している。
耶蘇教の大国の大臣(おとど)に聞かせてやりたい気持ちになる。
私は教条主義者ではないから、現代社会の問題をこの一文で済ます気はないが、何処か現代に通じる気は大いにしている。
さて、ナチの元帥ヘルマン・ゲーリングはニュールンベルグ裁判の後、国民をコントロールするのは容易いことだとこう述べた。
「簡単なことだ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ」と。
昨日まで「戦争法反対」と言っていた政党と政治家が、一瞬にして「戦争法容認。憲法改正」という不条理劇(悲劇か喜劇)が目前で演じられている。
叡尊がこれを見ていたらどれほど嘆いたことだろう。
ゲーリングは自説の有効性を自慢しただろう。
ゲーリングは自説の有効性を自慢しただろう。
北を擁護する気はさらさらないが、異国を「完全破壊」などというよりも外交で解決を目指すのが指導者の職責である。
「あんな喜劇があったね」ときっと言える日が来るのは間違いない。
「あんな喜劇があったね」ときっと言える日が来るのは間違いない。
白萩や善財童子の憂い顔
0 件のコメント:
コメントを投稿