8月29日に書いた『親鸞と日本主義』について和道おっさんから、和道おっさんのブログ『今を仏教で生きる』http://wadou.seesaa.net/article/453072535.html を通じてコメントをいただいた。それ故、要旨を転載させていただいても許して貰えるだろうと勝手に解してここに転載する。
ブログのタイトルのとおり、和道さんは浄土真宗(西本願寺)のお坊さんである。なので、和道おっさんの「おっさん」は「河内のおっさん」の「おっさん」ではなく、お坊さんの「おっさん」(「お」にアクセント)である。以下、和道おっさんのブログから要旨転載。
長谷やんの「親鸞と日本主義」を読ませてもらった。中島岳志氏の同名書籍の書評である。
ただこれほどの内容の書評を読者に理解できるようように更新記事で伝えるには、やはり紙面が不足しているように思った。その点をコメントしようと思ったが、とてもコメントで納まるものではなく、結局、私の記事でコメントに替えることにした。私が補強したい論点は次の二点である。
「俗諦」による世俗権力への服従は真宗の教え
一点目は、真宗でいわれる「真俗二諦(シンゾクニタイ)」論の内容とその役割を解説する必要があることである。真俗二諦とは、「真」(真宗教義)も「俗」(政治・道徳)もともに真実であるという意味で、蓮如が説いた「信心正因」・「王法為本」として説明される。
それは今生では勤皇報国の忠義に励み、あの世では信心によって極楽往生を遂げよう、ということになる。そこで問題になるのは、俗諦(政治・道徳)は、真宗の根本経典である『大無量寿経(大経)』に論拠をもつことを宗祖親鸞も認めていることである。それは俗諦によって世俗的政治権力に絶対服従することは、教団における単なる取り決めではなく、真宗の教理そのものを意味することになる。
中島氏もこの点を本書の中で「親鸞の思想そのものが、危険な要素を内包しているのではないか」と根本的な疑問をなげかけているのである。なお中島氏は中外日報(2015年11月4日付)のインタビュー記事の中で「親鸞思想が戦前の超国家主義に(真俗二諦論で)協力したという事実がある。これは非常に重い」と厳しく指摘している。
自力の排除が共通項?牽強付会の論理
二点目は、親鸞の思想がなぜ近代保守思想や、超国家主義思想と結びついたのか、という問題である。
中島氏は中外日報(同前)のインタビュー記事の中で、中島氏が影響を受けた西部萬が、右翼の大川周明などの本を読み、並行して歎異抄を読み、人間には完全はないという「自力」への懐疑で、近代保守思想は親鸞に通じると確信した、と述べている。
また中島氏は、強烈なファシスト団体を始めた三井甲之は、「帝大教授やマルキストたちは、自分たちの理論で世界をよくしようとする『計らい(自分の力を頼りにすること)』の思想である。それ(計らい)をすべて撤去し、絶対他力に任せることが重要だ。計らうな。全てを天皇陛下にお任せせよ」と説いていると、同じインタビュー記事で語っている。
西部、三井の両氏に共通するのは、自力への懐疑又は排除である。
よく知られているように、親鸞は自力修行への絶望を経て、阿弥陀如来の絶対他力による救いの道に入っている。自力を徹底して排する親鸞の姿勢に共通性をみて、その思想を取り込んだのであろうが、阿弥陀如来の絶対他力を天皇の大御心に振り替えるなど、私には牽強付会のそしりを免れない論理としか思えないのだが。(引用おわり)
和道おっさんの深い分析にコメントできるような知識はない。
また、指摘事項に違和感はなく、「そうそう」と共感するばかりだ。
ただ各種一向一揆や石山合戦の歴史的事実からは、「真俗二諦」や「諦め」に通じるような教理の原則のようなものは感じられないので、これは特には歎異抄が公になって以後の理論問題なのだろうか。その辺りはよくは解らない。
なお、この頃の私は理論を追求するのに大いに「ずぼら」になっており、人生観の根本のところでは絶対他力という謙虚な思想を押さえておき、その上で個々の生活の場面では自力というかそれなりの努力をするのは当然だろうと・・むにゃむにゃむにゃと丸めて自分を納得させている。
ただ各種一向一揆や石山合戦の歴史的事実からは、「真俗二諦」や「諦め」に通じるような教理の原則のようなものは感じられないので、これは特には歎異抄が公になって以後の理論問題なのだろうか。その辺りはよくは解らない。
なお、この頃の私は理論を追求するのに大いに「ずぼら」になっており、人生観の根本のところでは絶対他力という謙虚な思想を押さえておき、その上で個々の生活の場面では自力というかそれなりの努力をするのは当然だろうと・・むにゃむにゃむにゃと丸めて自分を納得させている。
だから、この本で親鸞主義に不信が起こったわけでもなく、記事でも書いたが、今後よく似たロジックが展開されたとき、この本から学んだ歴史の重さを思い出し、的確に批判したいものだと考えている。
和道おっさん、ありがとうございました。
久々の秋の夜長の人生論
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