24日は老人ホームのクリスマス会だった。
デイサービスのみんなで作ったという大きなクリスマスケーキの中に入れ!と要請され、サンタクロースの衣装をまとって中に屈んだ。
『乞われれば一差し舞う』しかない。
写真はシャッターチャンスのタイミングで幽霊のように写っているが、すぐに両手を広げてメリークリスマス!と登場し、「家族会からクリスマスケーキをプレゼントにやってきました」と報告すると「ありがとう」の声や歓声が広がった。
そのあと、トナカイやサンタの衣装で各部屋を回ってケーキをプレゼントした。
鈴を打ち鳴らして楽しい祝祭のムードが広がったせいだろうか、いつもは表情の乏しい方々も喜んでくれた。
こんな楽しいひと時が過ごせたのも施設介護のおかげだが、明日になると全員が「昨日、そんなことあった?」というように忘れているかもしれない。それでもいい。
夜は孫のなっちゃんファミリーがわが家にパーティーにやってきた。
なっちゃんが手巻き寿司を作って配ってくれた。
こんな時代がずーっと続いてくれたらと思ったりするが、テレビでは「今年逝かれた人々」を流していて、私の年齢とあまり変わらなかったり若い人もいた。
先のことはいい。毎日毎日の単位で感謝して生きるだけだ。
サンタ役誰より福をもらいけり
思いでづくりにならないのが寂しい気もしますが受け手の皆さんがその日その時を喜んでくれたら最高でしょう!
返信削除入所者の気分で川柳を
「誰かいな 今年のサンタ エラ若い」
何十年も昔のことは思い出すのですが、昨日や先週のことはほとんど全員が思い出せません。
返信削除それもあっさりとしてよいものです。
人間忘れられるから生きていけると思います。皆さんもそうしていると思いますが、私も嬉しかった事はなるべく覚えていて、嫌な事はなるべく忘れるようにしています。「忘年会」もその年にあった嫌な事や嫌な思いを忘れるためにあるものだと、自分勝手に理解しています。幸せは笑いの積み重ねだと思います。長谷やんは、抜きんでた創作活動だけでなく笑いの種も作れるから本当に偉い!!
返信削除人間がもし忘れることができないとしたらきっと気が狂うことだと思います。
返信削除ところで、この歳になると、何かの拍子に突然昔の失敗や嫌なことが今の行動とは何の関係もないのに思い出されて、思わずため息や独り言を言うようなことがあります。
認知症は本人にとっては不幸ではないことかも知れません。