少し以前から、新しい算額が東大寺の大仏様の脇に掲示されている。
新しいといえば、そこにはQRコードが付いていて、そのQRコードをスマホで読み取ると解説が出てくる。
算額というと冲方丁著『天地明察』を思い出す。そして先人の天文や暦に関する高度な知恵にはほとほと感心する。
「調査無くして発言なし」はルイ・サイヤンの言葉だっただろうか、日蝕、月蝕、それに星の出現(時と方角と高さ)「ご明察」の大前提は精確な観測でもある。
私などは、「カレンダーを使わずに2016年12月21日が冬至であることを証明せよ」と言われても途方に暮れる。
京・大阪あたりで日の入りが一番早いのは11月30日から12月9日であったらしい。
日の出が一番遅くなるのは2017年1月4日から11日とされている。
日の入りや日の出の時の山の場所(大阪であれば生駒山や淡路島の山)にどれほどの違いがあるのだろう。
真南をどのように特定するかもあるし、その南中の太陽高度の低さは棒を立ててその陰で測って解るのだろうか、そんなことも解らず1億人が「今日は冬至だ」と信じていることも考えようによっては怖い。
先日は『持統3年12月8日は西暦690年だ』と書いたが、「難しすぎて解らん」とのコメントもいただいたが、「今日が冬至だ」ということの方が難しい。
それでもきっと太陽は今日、南回帰線(南緯23度27分)を通っている(厳密に言えば見かけだが)のだろう。
陰陽道に基づく旧暦では「陰陽交互の季(とき)、陰極まって陽に復するとき」と言われ、それが『一陽来復』ということである。
そして私は毎年冬至を迎えると、「一陽」という名の非常にお世話になった先輩を思い出す。
そろそろゆっくりと酒を酌み交わして昔語りをしたいと思っている間に逝かれてしまった。
さて「一陽来復」は、感覚的にも春の遠くないことを教えてくれる。
義母から聞いた諺では「冬至十日はあほでもわかる」で、冬至から十日もすれば日が長くなり始めたなあとあほでもわかるという。
全国では、「冬至十日前から藁の節だけ日が長くなる」とか「米の粒だけ日が伸びる」「畳の目だけ日が伸びる」というのもあるらしい。
『日本の七十二候を楽しむ』という本には「古代には冬至が一年のはじまりでした」とあるが、先のブログ記事に書いたとおり旧暦正月は「雨水を含む月」であり冬至ではない。
それよりもヨーロッパのキリスト教以前の古い各種冬至のお祭りが収れんされて「クリスマス行事」が形成されたので、西暦の方が冬至と親和性が高い。
毎年、柚子湯と南瓜ぐらいは実行しているが、今年はささげご飯(赤ご飯)でも炊こうかと思っている。
鳥インフルエンザがいつのころからあったのかは知らないが、冬至から始まる冬季を畏れて春の農作業の無事を祈った先人の心はよくわかる。
高齢者にとっては自然現象でも政治の局面でも厳しい季節である。
だが「一陽来復」には「よくないことが続いたのち良い方向に転じること」という意味もある。
母曰くあほでもわかる冬至哉
天文学的な「冬至」の意味については下記の「天文基礎事項」が解りやすいと思います。
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