2016年12月23日金曜日

太陽の復活

   前の記事で「クリスマス行事の基層にはキリスト教以前の冬至の各種お祭りがある」と書いたが、冬至→太陽の復活のお祭り→太陽神の誕生日→救世主の誕生日と発展したようだ。
 基層の信仰は一般にアニミズムと呼ばれ、何となくレベルの低い原始的宗教と言われているが私はそうは思わない。

 そこで私は、大晦日の追儺の行事を連想するのだが、洋の東西を問わずこの時期にお祭りをしたくなるのはみんな一緒だと少し愉快になる。
 自分が寒がりのせいもあるだろうが、厳冬期は生命力が萎える感じがするし、この時期に、その先の春から始まる1年の平穏を祈るのは万国共通ではなかろうか。ただし熱帯地方はそうでもないかもしれないが。
 
 キリスト教の厚い歴史のあるヨーロッパでも、多様な神々が人々の眼前から消えたのはそんなに遠いことではないようで、アイルランドの妖精たちが消えたのも戦後の経済成長期のようだ。
 日本でも狐や狸が人々を騙さなくなったのも同じ頃か。

 アイルランドの妖精の話の中の他愛のないものを拾うと、1950年代に道路を造るために木を切ろうとすると木から血が出た話がある。その後その道路計画は変更され、1999年にハイウェイ計画も変更されたらしい。
 大阪でも谷町7丁目の道路のど真ん中に御神木が今も残っている。
 非合理だと笑うのは容易いが、私はこういう話が嫌いではない。
 人間は非力だと悟り、自然や他人や自分と違う考えに畏敬の念を払うことは悪くない。
 というようなことを考えながらクリスマスを祝ってもいいのではないか。
 あるいは、イエス様の誕生日にバカ騒ぎを・・などと眉をひそめずに、極東のアニミズムの国で原初の冬至のお祭りが継承されている・・などとこじつけて騒ぐのもありかも。

    妖精の祭りは遠くクリスマス

1 件のコメント:

  1.  24日クリスマスイブの朝日新聞に「サンタのお供 オランダ二分」という記事があった。サンタクロースの原型のひとつと言われるシンタクラース一行がパレードをしてプレゼントを配ったりする伝統行事があるのだが、ズワルトピート(黒いピーター)と呼ばれるお供を連れている。顔を黒く塗りもじゃもじゃ頭にして北西部アフリカ人であるらしく、国連人種差別撤廃委員会は「多くのアフリカ系の人たちは奴隷制の名残と感じる」とオランダ政府に改善を求めているらしい。アムステル大学の民族学の教授は「関係ない」とも言っているが、現代に生きている一定の人々が差別意識を感じているのは間違いないと私も思う。長い差別社会の中で育ってきた伝統行事にはこの種の問題は少なくないだろうが、前向きに改善することは悪いことではない。冷静に議論されるのが望ましい。

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