1年以上前になるが、ある古書店で「暮しの手帖」の「戦争中の暮しの記録」(古書)を見つけたがどういうわけか値札がなかった。アルバイトらしい店員に聞くと店長に電話をして2,500円という。
最初からその値札だったら買っていたかもしれないが、店員のやりとりが頼りなさそうだったので買わずに帰った。(この次店長のいる時に尋ねたらもう少し安い値であるような気がした)
その後、何回か覗いたがいつも店長がおらず、同じように店員に聞くと同じように店長に電話をして2,500円という。
そのやりとりが何回かあって、なんとなく気分が乗らず買わないまま、いつの間にかこの本はその古書店からなくなっていた。
その後、例の「とと姉ちゃん」が始まり、ドラマの終盤にはこの「戦争中の暮しの記録」がちょっとしたテーマになったから、どうしてあのとき買っておかなかったのだろうと2,500円をケチった自分に自己嫌悪に似た悔しさを感じていた。
そして10月初め、もしかしたらAmazonに中古本が出ていないかと検索してみると、「保存版」(2,200円+税)という新刊があったので、すぐにクリックした。
到着したのが10月の末だったので、なんと遅いことかと思っていたら、平成28年10月15日 第21刷の予約注文ということだったらしい。
とと姉ちゃんでも紹介されていたが、ほぼ100%その内容は読者の投稿である。
保存版ということで、附録1『「戦争中の暮しの記録」を若い世代はどう読んだか』という第2の投稿と、附録2『戦争を体験した大人から戦争を知らない若いひとへ』という第3の投稿も付いている。
15年戦争の記録やその下での庶民の生活が書かれた本は何冊か持っていたが、どういうわけかこの本はそれらの本以上に私の心を打った。
「暮し」というので投稿者は女性が多いし、投稿するのは少し教養のある人が多かったような気がする。
だから、この雑誌を読むこともなく、投稿など及びもつかない庶民の暮らしの方がもっとひどかったかもしれない。きっとそうだろう。いわゆる弱者は発刊までの24年の間に亡くなったかもしれない。
さらに、自分たちの暮しの辛さの向こうに侵略先であった(例えば中国人の)庶民の倍する悲惨な出来事があったことへの言及や想像も少ない。
それでも私はこれまで読んできた本以上に感動した。
奥付を見ると、昭和44年8月15日初版第1刷とあったが、当時の私はこの本のことをまったく知らなかった。戦争中の暮しの「感想」を読む意義もあまり感じていなかった。戦争は二度と起こるまいとも漠然と思っていた。しかし・・・
初版は今から47年も前のことだが、その当時の多くの投稿者が感じていた「再びの戦前」の危惧は現在もっと強まっている。
「NHK朝ドラだけが平和主義」という川柳があるが、ドラマがこの第21刷の遠因だったとしたらタイムリーヒットだった。
我々夫婦の親から聞いた話などと重ねて思うところは多いが、そこへ踏み込むとこのブログでは紙数が足りないのでそれは割愛する。
なので、重ねて言うが私は感動した。
Amazonなり近所の書店に申し込めば入手可能だろう。
『あとがき』の最後はこう結ばれている。 『編集者として、お願いしたいことがある。この号だけは、なんとか保存して下さって、この後の世代のためにのこしていただきたい、ということである。ご同意を得ることができたら、冥利これにすぎるはありません。(花森安治)』
「戦争中の暮しの記録」を読んで
虫の音やふすま噛(は)
むよな記録集
投稿の中にも食料がなくなり小麦の糠である不味い「ふすま」を食べた話は多い。そして私の読後感想も、実際には食べたことはないのだが「ふすま」を食したように
ざわざわと落ち着かない。その原因が現在の政治にあることは確かだ。