10月27日に書いた「むしりまんねん」の続き・・・・・。
元の記事で、何事に付け記憶が薄らいでいる義母が、楽しそうに誇らしげに、小さい頃に蜂の子を食べたことを私に話してくれたと書いた。
その表情にはいわゆるゲテモノ食いの暗いイメージは一切なかった。
山国の動物性たんぱく資源が乏しい村の貧しい人々が「仕方なく食べた」というものでも全くなかった。
ズバリ、美味しいから食べたという、子どもたちの楽しいおやつの思い出だった・・・と私は感じた。
だいたいが、魚や海老の「活け造り」や「踊り」を嬉々として食べている人々が「昆虫なんて」と言うのは偏見以外の何ものでもないような気がする。
経験した文化のちょっとした違いでしかないのではないのか。
戦前などは「米英では女までもが血の滴るような肉を食べるが故に貪婪・淫乱の鬼畜だ」と『主婦の友』は扇動したが、この話と五十歩百歩だろう。
私は国連食糧農業機関FAOなどが唱える「食料資源」論としての昆虫食にはあまり興味はない。
それよりも、この国の先人が「美味しい」と言って食べてきたという文化の方に心が惹かれる。
外国には、美味しい昆虫は家畜の肉よりも高価だという国もいっぱいあるという。
この国でも、蜂の子を食べるのは文化だったのだ。
一昔前は「日本人は魚臭い(キッシンジャー回顧録)」と言われたり、「魚を生で食べるなんて」と言われていたが、今やSUSIやSASIMIは西欧でもトレンドになっている。
だから、「蜂の子食」がそうなる日が遠くなく来るかもしれない。
秋の蜂おいしかったと母はいい
写真の缶詰のラベルには「昭和22年 賜天皇御愛用の栄」とある。いわゆる宮内庁御用達になるのだろうか。
返信削除我が義母が御皇族様同様に「御愛用されていた」というのが可笑しい。
食べたことはありませんが、「文化」というとらえ方に賛同です。
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