2015年10月19日月曜日

デビー・クロケットの唄

  孫の夏ちゃんの運動会でディズニーソングのダンスがあったが、 〽 僕らのクラブのリーダーは のミッキーマウスの唄から始まって、デビー・クロケットの唄に移ったのには驚いた。何に驚いたのかといえばその懐かしさについて驚いた。
 この懐かしさは夏ちゃんのお父さん(つまり私の息子)にもお祖母ちゃん(妻)にも分からないだろう。もちろん子ども園の先生も。
 ディヴィッド・クロケットはアラモの戦いの一員で、アメリカ映画(西部劇)では度々登場する。
 アライグマの尻尾付きの毛皮の帽子がクロケット帽で、私がよく似た帽子を愛用していた頃もある。
 そのデビー・クロケットの唄は1955年に小坂一也とワゴン・マスターズが歌ったもので、小学校の4年か5年の頃に友達に教えてもらった。山之口商店街の果物屋の子だったその友達はすでにいない。
  〽 テネシー生まれの 快男児
     その名は デビィ・クロケット
     わずか三つで 熊退治
     その名を西部に轟かす
     デビィ デビィ・クロケット
     僕の憧れ
 それだけのことである。
 ただ60年ほど前に小学生の私が歌っていた唄を孫の運動会で聴くとは感無量である。
 さて、あの時間、何人の人が私と同じ感慨を感じていただろうか。想像するに数人居たか居なかったかだろう。それがおかしい。
 それだけの話である。

6 件のコメント:

  1.  長谷やん、ディビー・クリケットの歌、私も子供の頃、よく口ずさんでいました。ただその歌は、文字にすると「ディビー・クリケット」と歌っていたように思います。
     ところで長谷やんの所は今もお孫さんの運動会に行っているのですね。私の方は兄ちゃんが小学生になった昨年から参加していません。ジワリと孫離れの要請が届きそうです。

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  2.  なるほど、孫離れのタイミングがあるのですね。
     今年のところは、「祖父母」のプログラムに率先して参加してきました。
     デビー・クロケットの唄という実にくだらない話題にコメントいただきありがとうございました。

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  3. 小阪一也とワゴンマスターズ、文句なく私の青春前期のスターです。当時の和製ウエスタン歌手にはその後、日本の歌謡曲のスターが沢山いました。「若い二人」「ふるさとの話をしよう」の北原健二、「また逢う日まで」の尾崎紀世彦、などなど進駐軍のキャンプで歌ってた江利チエミ、弘田三枝子も。進駐軍という言葉を知っている年代も私たちが最後ぐらいでしょうか。
    デビークロケッツと並んで有名なのがダニエル・ブーンでしょうか、アメリカンポップスの代表―パット・ブーンの先祖です。開拓者と同時に政治家でもあり、「ブーン家」はアメリカでも特出した家系-アメリカを創った先祖と云われています。反面、開拓者は先住民を迫害した侵略者でもあるのですね。
    アメリカに憧れた青春前期、ただそれだけの話。

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  4.  炉端の昔話のようになってきましたが楽しいものですね。

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  5.  アメリカ音楽通のひげ親父さんならご承知と思いますが、(以前にもコメントしたことがあるような気もする。?)我家の近所出身者で「薗田憲一」と言うその道では有名な方がいました。10年ほど前に亡くなりましたが、娘さんが引き続いてやっているそうです。正式なグループ名は、薗田憲一とデキシーキングスでアメリカのニューオーリンズの名誉市民にもなっています。20年ほど前に小学校の100周年記念に来て、もの凄く迫力のあるデキシーを聞かせてもらいました。開拓者気分にしてくれる見事な音楽でした。

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  6.  以前のコメント読ませてもらいましたよ。
     よい先輩をお持ちで素晴らしい。

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