2014年12月4日木曜日

語り継ぐ

  高倉健さんが亡くなった。菅原文太さんが亡くなった。
 客観的にみると自分自身がええ歳になっているのだから、このような訃報に接することも不思議ではないのだが、主観的には納得できない。
 これは以前にも書いたことかも知れないが、安倍首相やその取り巻きのメンバーは、「先の戦争は侵略戦争ではなかった」「従軍慰安婦はいなかった」というような歴史の修正を図ろうとしている。
 そうであるならば、私たち高齢者は、自分たちが直接聞いた戦前戦中の話などをきっちりと語り継がなければならないと思う。

 ところが、私が参加した近所の憲法9条の集まりでは、何人かが父親から聞いた戦争体験などを話したが、その多くは、予想外に「悲惨なもの」ではなかった。
 それにはいろんな要素があると思う。あの時代の男たちにとって悲惨な・・特に加害行為の記憶は誰にも、特に家族には話せなかったということもあるだろう。
 成長した子供に戦争体験を語り得た人は、どちらかというと長寿の「勝ち組」の人が多いということもあるだろう。
 そして何よりも実際の戦争体験のある父親は、既に男性一般の平均寿命を超えているから、我々の世代が「聴きおく」ことの大切さを痛切に感じた時には半ば手遅れで、戦争の証人、戦争の犠牲者は「嫌な記憶」を胸の奥に蓋をしたまますでに鬼籍に入っていたのだと思う。
 だから、私たちは耳を澄ませて、逝った人々の声を紡ぎ合わせて語り継ぐ必要がある。
 これが時間との競争になっていることを高倉健さんや菅原文太さんは私に再確認させてくれた。

 それ(男)に比べて、女性は元気で長寿の方が多く、満州の新京からの引上げ体験や、8月15日以降も機銃掃射を受けていた樺太からの引上げ体験は、生々しい戦争告発だった。
 この層の女性が戦争反対の世論を支えていることは間違いない。
 河島英五の「酒と涙と男と女」ではないけれど、〽またひとつ女の方が偉く思えてきた~ と、お世辞でも皮肉でもなく正直にそのような感想を抱いて集会を後にした。

 河島英五の奥さんが法善寺横丁でバーをやっていて、河島英五がその店の壁に絵を描いていたが、ご存知のとおり法善寺一帯の大火事でお店は焼けた。ただ、その焼跡の英五の絵の一部は、奈良大学の文化財保存学の権威である西山教授によって剥ぎ取られて保存に成功した。それは今、写真のとおり、奈良の大仏殿近くのTen.Ten.Cafeに飾ってある。


※ 衆議院議員選挙の比例代表選挙は「拘束名簿式」なので、政党名「日本共産党」と書いてください。比例代表の候補者名を書くと無効になるので注意してください。

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