岩波文庫「日本書紀」巻第三十 高天原廣野姫天皇(持統天皇) |
私としては枝葉の話ながら、共産党の議員が「持統天皇が雙六(すごろく)禁止令を出してから1300有余年」と例えたのが愉快であった。
そんなことで日本書紀を引っ張りだしてみると、「持統3年12月己酉朔丙辰、雙六を禁断む」とあった。
持統元年の前年には朱鳥元年があったから持統3年は西暦689年に当たるが、この12月8日は西暦690年1月23日に当たりそうだ。
赤旗の(忠)という署名のコラムは689年と書いていたが間違っていないだろうか。
といって、このころの暦は難しく、いろんな本をひっくり返したがその西暦は私には正確には解らなかった。
持統天皇の「春すぎて・・・」の歌は孫の名前の典拠になったもの。
まんざら縁遠い天皇でもない。
そんな天皇の故事を、ユーモアで包んだ例え話ではあるが挿入して、共産党の議員が自称愛国者と言いたいだろう首相を追い詰めたのは痛快だった。
私は決して謹厳実直といえるほどの者ではないが、こんな私でも近頃の首相周辺や大阪市長周辺の主張には品位が欠けていると思う。
金儲けのためならカジノであろうが何でもありの主張は危険ドラッグの売人と変わらない。
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