2014年10月27日月曜日

明日香セラピー

  OB会の行事で明日香路を散策した。10月19日の記事に書いた手旗もデビューした。
 9月20日の記事で下見をしたコースだが、下見のときと違って行楽シーズン真っ最中、近鉄の合流地点である橿原神宮前駅と下車駅である飛鳥駅はびっくりするほどの同輩方であふれていた。
 奈良県ということで言えば正倉院展や大古事記展も開催中であるから、もしかしたら遠方の方もおられたかもしれない。
 明日香路は、・・・・というような有名な「観光地?」ではあるのだが、近畿の方々も正直なところ「知ってはいるが行ったことはない」という隠れた名所に甘んじている。我が参加者の多くもそうだった。
 御陵の周囲に「立入禁止」の立看板があったが、それが文科省ではなく宮内庁であることに驚いたという程度のビギナーの・・・・。
 だから、小学校の遠足程度の気軽さで猿石―鬼の俎・鬼の雪隠―亀石(バス)石舞台―都塚(バス)高松塚を文字どおり散策したのだが、結果を言えば「オミソレシマシタ」で、みんな結構な健脚で「もっと行ってみたかった」という不満を(幹事のために)呑み込んでいてくれているのが感じ取れた。
 
 「散策」ということで歴史はほとんど語り合わなかったが、飛鳥時代というのは河内・和泉に大王が巨大古墳を造って力を誇示していた時代の次の時代である。
 巨大古墳の代わりに瓦葺のお寺を建て、大規模な道教や仏教のお祀りの施設と石の製品を飾った時代。
 そして、律令や天皇号という国家の原点を作った時代。
 ということで、多くの人々は「日本人の心のふるさと」のような気持ちでここ明日香の景色を眺めているのだが、よく考えてみると飛鳥時代の明日香は、現代の圧倒的な(内陸の)中国人にとっての上海みたいに、『日本離れした』モダンな国際都市だったということを明日香の遺跡は随所から教えてくれている。
 その国際色の圧倒的な中心は朝鮮半島の技術や文物であったのだから、明日香散策の結果として東アジアの平和友好関係の樹立に皆の心が広がるとよいと思う。 
 森林セラピーという言葉や運動があるが、現代人に必要なのは明日香セラピーではないか。

 ただ、行楽日和の明日香路では、歴史のもう一面であった、当時の緊張関係にあった東アジア情勢の下で富国強兵に邁進した大和政権のごとく、相当なお歳とお見受けした幾つものグループが我々の数倍の速度で次の観光ポイントを目指してドッドッドッドッと隊を組んで駆け抜けていった。
 1日に何箇所回ったかが満足感のバロメーターだろうか。
 ああ、飛鳥時代人に比べて平成時代人はほんとうに豊かなんですか?

4 件のコメント:

  1.  下見や資料作成に尽力ご苦労さんでした、当日は遠足に絶好の天気で大変嬉しかったです改めてお礼をしま。
     明日香路はおおよそ半世紀振りの訪問で殆ど記憶にはありませんでしたが、不思議と石舞台だけは覚えていました、狐が女性に化けて石舞台上で踊ったのが石舞台縁の縁だと説明を受けたことをオモイダシマシタ。鬼の俎板雪隠の方が物語として面白い筈だと思ったりするが全く記憶にないのが不思議な気がします。
     ともあれ、世界の巨石文明の不思議な共通点に思いを馳せた一日でした、ありがとうそしてご苦労さんでした。

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  2.  匿名さん、コメントありがとうございました。
     バスの時間待ちなど反省しております。
     次回以降に頑張ります。
     さて、明日香をもっと見るにはレンタサイクルがお勧めです。もちろん、電動アシスト自転車で・・・・、
     先日新聞で超小型電気自動車も増やすと書いてありましたから、それもいいかもしれません。
     明日香にはまだまだ多くの名所があります。

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  3.  御礼が遅く遅くなりましたが以前コルクの栓の仕方を尋ねたことがありましたね、髭親父が持参したワインをよく見ると栓の上部が少し細くなっていました。逆さまにして栓をするとうまくいきました。そんな風に作ってあったとは驚きです。

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  4.  納得していただけてホッとしています。

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