10月11日に森沢明夫の小説「虹の岬の喫茶店」を読んだことを書いたが、この小説を原作とした映画「ふしぎな岬の物語」を観てきた。
小説は小説、映画は映画の良さがあるが、う~む、やっぱり私は小説派かも。
この映画は、モントリオール世界映画祭で審査員特別グランプリを受賞するとともに、エキュメニカル審査員賞も受賞したが、私はこのエキュメニカル審査員賞なるものを知らなかった。調べてみるとカトリック、プロテスタントを超えてキリスト教精神を物差しに選定されたものらしい。
以上のような少しばかりの予備知識をもって映画を観ていると、小説にはなかった「町のお祭り」のシーンがあり、そのお祭りは鯨音頭を歌いながら鯨神輿を担いて練り歩くものだったので、ちょっとだけエエッと思った。
というのも、それは基本的に捕鯨に関わるというか、トーンとしては、捕獲した鯨の法要の側面があったにしても通奏低音としては捕鯨を賛美するお祭りだと思うからだった。
捕鯨反対の主張には、自然保護だとか高等知能動物だとか色々な理由があるが、多くの欧米諸国の人々の根底には鯨食文化が生理的に理解不能だということがあるのではないかと私は思う。そして、そういう鯨食を忌避する精神文化の根底には旧約聖書(レビ記第11章)の戒め(とがめ)があるのではないだろうかと勝手に私は想像するのだが、・・・・だとすれば、捕鯨を称える祭りのシーンの入った映画がよくエキュメニカル賞を戴けたものだと勝手に感心したわけである。
というような感想は、全く筋違いの勘違いかもしれないが・・・・。
さて、鯨神輿と鯨音頭というと私の故郷・堺の出島にも伝わっていた行事であり、戦後は一時期途絶えたようだが、今は多くの方々の尽力で復活している懐かしいものである。(といって鯨音頭を私は紙上でしか知らなかった)
映画の本筋ではないそんな感慨を抱きながら映画を観たが、エンドロールの「制作協力」で住吉大社と堺出島漁協が出たので再び驚いた。ただ、一瞬のようなものなので見誤りかもしれないが・・・。
それで、本質的な映画の批評はどうなんだ?と聞かれるかもしれないが、いつも通りそれは各自が自分で感じていただくとよい。
私は幾つかあった(原作にもあったが)スピリチュアル(精神的な不思議現象?)を肯定するようなシーンには違和感があったし、そのピークともいえる「小さな子供の親子に亡き夫の虹の絵画を譲る」シーンは、・・・作者の気持ちに立って解しようとしても判り難かった。
そして何よりも、クライマックスともいえる場面での主人公の喪失感の描写もまだまだ甘いような気がした。
とはいうものの、全体としては気分の良い映画だったと感じている。
よかったら、皆さんの感想をコメントに戴けるとありがたい。
今日(2022/10/02)この映画を初めて見て、岬鯨祭が気になったので検索したら、このサイトに辿り着きました。映画はよかった。雨が降って、虹がでるんだなー。
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