2014年10月4日土曜日

終活なんておやめなさい

  「近頃どうしておられます?」「専ら終活をしています。」というようなことを私の周りではしばしば聞く。自分の墓を建てた者もいる。
 年齢、健康状態、子供の有無等々で感じ方に違いがあるようだが、終活はちょっとしたブームらしい。
 そんな最中、散歩中の書店で、ひろさちや著『終活なんておやめなさい』という本が目についたので購入して読んでみた。
 著者ひろさちや氏は、自身が「浄土宗の人間です。」と書いている著名な宗教評論家であり、私はこれまでに何冊か読んだ記憶があるが、正直に言って、内容に納得できてもパルピテーションはあまり感じなかった。
 それがこの本は、目次をつまみ食いするだけで・・・、
  遺言書は無用
  「迷惑かけたくない」の嘘
  気まぐれな理想主義ほどの迷惑なし
  葬式は、したくなきゃしなくていい
  墓参りを年中行事にする愚
  戒名という大ペテン
  「霊魂は考えるな」がお釈迦様の教え
  真の終活とは何か
  最期を明らめてこそ生が輝く
・・・・という具合に刺激的である。
 前文の一部を引けば、「いま、世間では、「終活」という名の死の準備がすすめられています。それは、死後の心配ばかりをしているのです。死後のことばかりを考えて、いま現在をないがしろにしています。馬鹿らしいと思いませんか!」というスタンスに貫かれている。
 知人友人にはお坊さんもおられるから、彼らには不愉快な内容も少なくないかもしれないが、私はこれまで読んだ著者の本の中で、一番共感が広がった。
 内容を紹介したいが、刺激的に語るのも憚れるから興味のある方は購読されるとよい。
 私は著者の主張に数多く納得して、読後、心に充実感を覚えた。
 私は、終活に取り組む暇があったら、私の半生の結果として近頃感じていること、考えていることをブログに綴っていこうと思う。
 その100分の1でも1000分の1でも子や孫の思い出になってくれればいい。これが私の老年期の仕事であり終活である。

6 件のコメント:

  1. 私は7,8年前からひろさちや氏に傾倒しています。去年は氏の二か月に一回の講演会(純粋の宗教学=法華経でした)に東京まで泊付きで行きました。講演会の後は居酒屋での懇親会にも参加しました。私が何より好ましいのは氏が反権力、反自民党、の姿勢を崩していないからです。ですからTV、ラジオ等メディヤからは干され、中傷もされています。と言って左翼、革新系でもありません。仏教の言う中道の姿勢です。でも歯に衣を着せない痛烈な日本の現状批判と権力、権威に迎合しない氏の大乗仏教の考え方に強い共感を覚えております。

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  2.  スノウさんのコメント(というか、その生き様)の方が私の記事よりも何倍も刺激的です。
     『「迷惑かけたくない」の嘘』のページには、終活に取り組もうとしている人の心を覗くと、自分の死後、遺族に「ああ、何もかも片づけていって、立派な人だったなあ」と思われたいのです。要するに自分をよく見せたい、善人と見られたいわけですから、これは我欲以外の何ものでもない。・・とバッサリです。
     確かに、歯に衣着せず、世間に迎合せず、私もそういうところにパルピテーション(「ときめき」は誤訳との意見もありますが)を覚えます。

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  3.   ひろさちや氏の『終活なんておやめなさい』の記事とコメントが、長谷やんとスノウさん出ていますので、私のコメントも加わらせて頂きます。
     『就活なんておやめなさい』の評価については、目次の紹介を読む限り大筋では、私も長谷やんの評価に同意します。特に「戒名」「霊魂」に関しては全くその通りだと思います。ただ「葬式」と「墓参」に関しては、目次の表現を読む限り、すこし異論があります。「肉親の葬儀や墓参を通して自らの死と向き合う」という役割は否定できないと思うからです。
     同様の立場から「終活」の評価についてもやや立場を異にしています。「死後のことばかり考えて、いまをないがしろにしている」とのひろ氏の言葉ですが、少なくとも「終活」が、自らの死を意識した行為であることは否定できず、それは「残る人生をどう生きるか」を問うことと一体になっている場合も多いと思うからです。
     ともあれ、長谷やん、スノウ両氏の「ひろさちや評」には興味を惹かれました。できれば氏の著作を購入し、このブログでも記事にしてみたいと思いました。 有難うございました。

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  4.  (1)「そんなに共鳴するならそのように実践しているのか」と問われると、この本はお彼岸前に読んだのですが、「とはいうものの」と言いながらお彼岸のお詣りに行っているというエエカゲンな私です。
     (2)おっさんの仰るように「終活に対峙することが残る人生をどう生きるかの力になる」という方々をあまり知らず、どちらかと言うと、現実の課題から一歩引く口実に「終活」という言葉が使われているように思い、そういう意味で「終活なんておやめなさい」という問題提起に私は共鳴しています。
     (3)4日の朝日新聞に「断捨離をしたら想い出も捨ててしまったようで鬱になった」という投稿がありました。これもなるほどと思いました。「終活」だとか「断捨離」だとか、とかくブームなるものについては飛びつかない方がよいように思っています。

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  5. 私も、お盆、お彼岸のお墓参り、先祖供養の法要もしますし、神社、仏閣で手を合わせ神仏を拝みます。
    但し、インチキ宗教、ペテン宗教に引っかからない嗅ぎ分けを充分に出来るよう注意しているつもりです。
    終活て言葉も意味も知りませんでしたのでチョット、ネットで見てみましたら驚きました。「カウンセラー協会」なるものもあり、認定資格試験があり受験料、認定料が必要で。内容は相続、遺言、保険、葬儀、墓等のようです。
    「終活」と言う言葉は宗教と関係ない誰かが意図的に作り出した造語だと思いました。こんな言葉使いたくありません。

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  6.  スノウさんのコメント、大いに同感!(変な言葉ですが・・)
     なお、お墓についてですが、私は妻や子に「無用だ」と言ってあります。

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