2014年5月31日土曜日

宴の流儀

  週刊誌的には、空気を読めない人のことをKYと言って軽蔑するような「常識」があるが、その同調圧力は結局のところ個性や意見というものを否定して「長いものに巻かれろ」というツマラナイ風潮を助長しているようでいただけない。
 さわさりながら、その場その場を考えず、真面目な顔で真面目な発言しかできないのもどうかということもある。特に宴の場においてはそうである。
 その「頃合い」のところが難しく、私はいつもスベッている。
 形式的には私は主催者側でも何でもなかったが、広い意味で自分をホストと考えて行事に「奉仕」することが大切だと常々考えてきたので、職場OBの宴にクスダマと歌集を持参した。
 クスダマは準備にオタオタしたものの、いや予想外の準備のオタオタぶりがよかったのだろう、みんなに大いに笑っていただいた。
 歌集は、5月2日の「同世代」の記事に書いたが、年輪を重ねた熟年に相応しかろうと愛燦燦、花は咲く、人生いろいろ等を選曲した。
 目指したものはコーラスではなく、昔懐かしい宴会で手を叩きながら歌った合唱の雰囲気で、多くの参加者が私のバカバカしい呼びかけに答えて前に出てきてくれた。
 ただ、私の選曲のセンスが若干ずれていたのだろうか、「知らない」と言われる方もいた。
 といって、老人ホームの音楽療法でもあるまいし、童謡、唱歌、ただのヒット曲にはしたくなかった。
 花は咲くは、あのNHKの向こうを張って一区切りずつリレーで締めたかったが、その形は思いっきりスベッてしまった。そういう「真似事」が困難なほどに皆さんの日々の生活は疲れているのだろう。きっと。
 
 俳句のことは全く知らないが、その昔「芭蕉の句は軽み(かろみ)が良い」と聞かされて感心したことがある。
 わたくし的には、宴の席で侘び寂の高尚な話をするよりも、軽みに徹してピエロを極めたい。
 こんな年寄りの思いを、若い人たちがちょっとでも理解してくれたら、時代を切り開く新しい運動も芽生えて来ないかと思っている。(昔々の宴会で酒飲みの先輩が若手に理不尽な小間使いをさせていたようなことを言っているのではない。)

 先日から、上野誠先生の「万葉びとの宴」という本を読んでいる。
 万葉集の中の宴の歌を現代語に訳しその背景や心理を解説している。
 その中に、・・・・「宴会のスピーチは、宴会の雰囲気を読んで、楽しくが基本ですが、場に縛られているようでは、まだまだ未熟というもの。その場の雰囲気を作る側になってこそ、宴の達人になれるのです。」とあった。
 う~む、修行が足りないと反省の日々である。



  6月1日、左の写真を追加した。

4 件のコメント:

  1. ホストご苦労様でした。おかげで楽しい一時を過ごすことができました、とても楽しかったです。くす玉はご愛嬌でしたがね、そこでアドバイス、セロテープを剥がすのに手間取ってしまったことですが簡単剥がす方法は、テープの端を内側に折り曲げて端までくっけないようにしておけば簡単に剥がすことができるはずです、今度くす玉を作ることがあれば試してくださいうまくいくはずです。

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  2.  茅渟の海さん、コメントありがとうございます。セロテープの件、了解しました。
     「もしもピアノが弾けたなら」ではありませんが、楽器を弾けないどんくささが悲しいです。
     掲載した、ひげ親父さんの撮ってくれた写真ですが、左端の嬉しそうな顔だけで十分満足です。もちろんその他の方々も、・・・・ただ、・・・どう見ても真ん中の私はよたよたと介護されているような感じでちょっとだけショックです。

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  3. 御心配の向きもあるようですので念のため、あと2枚送っときます。chinunoumiさん、裏ホスト、ご苦労さんでした。(セロテープの裏技、私も知っていました。エヘン!)

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  4.  ひげ親父さん、写真2枚受け取りました。ありがとうございます。
     人生いろいろ、写真もいろいろ、現実を直視して悪あがきをしないことにします。

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