どうも新暦というのは無機質な感じがする。
お正月も、ほとんどのアジアの国々では旧正月だが、そちらの方が新春というのにはふさわしい。
梅雨の真っ最中の七夕もおかしいが、3月3日を桃の節句というのにもズレがある。
だから実際の自然を知らずにその種の決まり文句だけを覚えている人は、桃の花を見ても『桃の季節は過ぎたのに・・・・』と誤解をし、「この花は何ですか?」「八重桜ですか?」などと尋ねられる。
我が家の花桃がちらほらと咲き始めた。
あと数日で満開になるだろう。
庭先で、毎年、先のような質問が多いので、今年は木に『源平枝垂れ花桃』という名札を提げた。
それを見た妻が、「提げるなら短冊でしょう」と私を挑発したが、悲しいかなすらすらと一句ひねり出せるようなセンスがない。
で、 野に出れば人皆やさし桃の花 高野素十 という短冊を枝に提げた。
個人の庭の木にこんな短冊を提げるのは「おかしな家」と思われているのだろうか。
現役のころはこの季節恒例の送別会で「想い出のアルバム」を合唱したりした。
〽 桃のお花も きれいに咲いて 今日からみんなは 一年生 ・・・・・・
メリハリの乏しい年金生活だから気を抜くとのんべんだらりとなるので、世間は年度初めだし、この年度の1年生だとこじつけて気分を故意に引き締めている。
立ち止まって、短冊を読んで、和らいだ会話を交わして歩いて行かれる人がおられたと妻からのレポート。
返信削除「読んでみて初めて桃だと知りました」「梅だと思っていました」とは今日の人。
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