2012年9月28日金曜日

古代史の言葉尻

  宮(みや)とは、建造物の「や(屋・家)」に尊敬を現す「み(御)」が形容されたもので、王・天皇や妃・王子が居住する建物を意味する。
  この宮が設置された場「こ(ところ・処)」が都(みやこ・宮処)である。「こ」は、「ここ、そこ」という場所の意味を表す「こ」と同じ。つまり、都とは宮のある場所であり普通には天皇が居住する所在地となる。当然ながら墓の所在地ではない。
最古の巨大前方後円墳・箸墓古墳

  巨大な前方後円墳(鍵穴形古墳)が古代国家の大王等(一部有力地方首長も含む)の古墳であることについては議論の余地はないが、その主要な築造場所が奈良盆地内の各地を巡り、そして大阪平野等にまで移動していることに関して、それを盟主権の移動あるいは王朝の交替と見るかどうかについては大議論がある。
  議論の中には「河内王朝」という言葉も出てくるが、その説に乗ったとしても、古墳(墓)は南河内や和泉(堺)にあるにしてもその幾つかに対応する難波京は摂津(難波津)にあったのだから、その説を展開するならその名前は「摂津王朝」ではなかろうか?

  この巨大古墳について、すでに多くの世界遺産を実現した奈良県は余裕で放っておいている?が、大仙陵を抱える堺市等は「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産登録を目指して必死の様子である。
  その熱の入れようの違いなのか、羽曳野市等に対する堺市の大国主義かは知らないが、ここも歴史の記述の常識からすると古い順に「古市・百舌鳥古墳群」でなければおかしい。

  また大仙陵については出土品の年代測定から「仁徳天皇陵ではない可能性が高い」といわれているから、百歩譲っても小さく「伝仁徳天皇陵と記すに止め、神話と歴史をごちゃ混ぜにして軍国主義教育を推進した戦前の『歴史』を反面教師として学ぶことが大切だろう。ここを考えれば、「近現代史の両論併記」などという某市長の主張の危険性もまた明らかだと思う。

  歴史学者千田稔先生は、「都(みやこ)とは天皇の宮のあるところ・・というのが大前提の常識であるから「大阪都」などと言うお方は政治を語る前に先ず歴史と国語の常識を勉強してもらいたい」との旨を朝日新聞紙上で述べておられた。

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