今は昔、節分に、職場では厄年(前厄、本厄、後厄)の職員がお金を出し合って善哉を炊いて、他の職員はおろか来訪者にまでふるまっていた。
「厄落とし」とか「厄払い」と言っていた。
「成果主義」などという言葉のなかった時代のことで、誰もがチームワークを心がけていた「今は昔」のことである。(こんな精神が「今は昔」になって良いことはないのだが・・・)
さらにその昔の堺では、この善哉のふるまいが町中で行なわれ、知り合いはもちろん、行きずりの人々にもふるまえばふるまうほど厄が落ちる(小さくなる)と言われていた。
だから反対に、親は、「善哉のふるまいは他人(ふるまう人)の厄を引き受けてしまうから誘われても食べないように」と子供に注意するのだった。
つまり、厄年側は出来るだけ多くの人々に食べさせようとし、非厄年側は出来るだけ食べないように逃げるわけであるから極めてデリケートな高等?行事であった。
子供の頃、小学校の同級生の父親が本厄だったらしく、同級生の多くが誘われてその家で「食べさせられた」ことがある。
子供自身にとっては美味しいお八つで文句もないのだが、後でそれを聞いた親たちは微妙に嫌がった。
そして、その家は漁師の網元であったから、その善哉のふるまいは非常に大規模なイベントで、大人用には善哉のほかに御酒とアテ(肴)もたっぷり用意されていて、子供たちにもアテ(肴)がいっぱい配られたのだが、そのアテ(肴)の中の一つは小型の河豚(ふぐ)の煮付けだった。
小学生といえども「河豚は中(あた)る」ことは知っていたのでびっくりしたが、本職の漁師たちがわんさか食べているのだから「これは食べてみる価値がある」と私が挑戦したのはいうまでもない。
思えば、私の各種食材へのあくなき挑戦の起源はここにあったのかも知れない。
挑戦といえば、その後十分大人になってから、別府で河豚の肝をたっぷり食する機会があった。
大分県では、肝の提供が条例で禁止されていない。
私の持論だが、肝と白子に不味いものはない。
これはほんとうにおいしかった。
ただし、ブログの読者は禁止されている都道府県では食されないよう。食したければ別府温泉へ。
ネットから |
これは、彼の小泉武夫先生が「この地球上で最も珍奇な食べもの」と断定されている。
『猛毒の卵巣を四~五年かけて言い伝えられてきた発酵技術で無毒化した』もので、世界に類を見ない執念の所産である。解毒の正確なメカニズムは今現在でも不明らしい。
近所の人が、「こんなのを戴いたのだがウチではよう食べん。長谷やんさんなら食べてくれるやろ。」と言って持ってきた。
正直に言うと、このときの味はさすがに全身に力が入ってほとんど覚えていないが、相当な大きさであったものを結局完食した。
・・・節分から脱線しつくしたブログになった。
今夜は相当以前に注文済だった「恵方巻」の丸かぶりをする。
もちろん大きな声で「福は内 鬼も内 戌亥の角にどっさりこ」と唱えて豆を撒く。
明日は立春、元気を出そう。
2月4日立春
右の写真を追加
東京の鬼子母神では「鬼は内、福は内」と言うそうです。「鬼」を先に言うところが面白いです。子供を守る鬼子母神は元は人間の子供を喰らう鬼だったから「鬼は外」と言うと神様が逃げてしまうからだそうです。
返信削除幸福と不幸は一対。幸福の神様吉祥天と不幸の神様黒闇天は姉妹だそうです。
都合の良い一方だけ求めるのは人の我儘という昔からの言い伝えなのでしょうか
貴兄に教えられて金沢近江市場で「糠漬け」を買って帰り、お茶漬けにして食べたのを思い出しました。人間の飽くなき食への挑戦こそ文化の源です。
返信削除それはそうと、玄関に張った「鬼の符」が気になります。比叡山と読めますが?
!スノウさんのコメントに納得です。
返信削除「あるがまま」を素直に受け入れて生きてゆくのも大切ですね。
今夜は初めて「鬼も内」と叫びました。直接的には12月18日のブログ「鬼の末裔」を思ってのことでした。
!ひげ親父さん 比叡山横川(よかわ)元三大師堂(がんさんだいしどう)の角大師(つのだいし)の魔除の護符です。
私は占いやまじないには極めて冷静ですが、先人の心と響きあうこういうモノと行為と想像は嫌いではありません。いや好きです。