2011年11月12日土曜日

忘れ物を見つけた 松露団子

   松露しょうろは、松林の砂地に生えるキノコで美味というから和製トリュフらしいが私は食したことがない。なお、トリュフを検索すると西洋松露とあったからあらためてそのイメージに納得、納得。
 だから、その昔白砂青松の堺の浜寺で松露が採れていたのは間違いなく、それが証拠に浜寺名物・松露団子がある。
南海本線浜寺公園駅舎


 その松露団子・・・。今から50年以上前のことになるが、病床の父が亡くなる少し前に「浜寺の松露団子を食べたい」と言い出して、母が浜寺まで買いに行ったことを何故か今でも憶えているが、当時、それがどんなものであったかは全く記憶にない。
 そして勝手に、それは、少し乾いた餡の周りに砂糖を固めた和菓子の「松露」の・・あれだ、と思い込み、和菓子の「松露」を食べるたびに「これが父親が食べたがったものか」と感慨を込めて食べてきた。

阪堺電車で

 父が亡くなってからの私は中学、高校へと進み、この間に友人たちと浜寺公園で遊んだり、松林の下で青春の悩みを語り合った機会は数限りがないが、その頃は松露団子のことは全く頭に浮かんでは来なかった。 当然か。
 
福栄堂

 その私も父の没年をはるかに過ぎ、先日、堺に行ったついでに阪堺電車(チンチン電車)で、遠い忘れ物の松露団子を探しに行ったところ、昔ながらの佇まいを残した福栄堂が駅の「まあ前」にあったので狐につままれたように驚いた。
 ここなら、何十回できかないほど前を通っていたはずの場所である。不思議なものである。 

松露団子

 そして、福栄堂のショーケースにあったのは和菓子の「松露」とは全く異なる「松露団子」・・松露のように小ぶりの「あんころ」だった。う~ん、知らなかった。
 お茶席の高級和菓子ではない、昔の行楽地のみやげ物そのもののような素朴な「団子」でしかなかったが、きっと、父には何か楽しい潮干刈や海水浴に繋がる思い出があったのだろう。 
  そんなあれこれを想像して、素朴な松露団子を味わった。

5 件のコメント:

  1. 松露とは日本のトリュフの事ですよね。浜寺の松原には昔はあったのかもしれません。福栄堂の松露団子、私も買いに行った事があります。あっさりとした味だったと記憶しています。

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  2. 12日私も阪堺電車に乗りました。恵美須町の駅には、堺のパンフレットがありました。

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  3. みつさん コメントありがとうございます。
     堺は、大和川が付け替えされるまでは摂津・住吉の地続きの南端で、摂津、河内、和泉の文字どおりの「堺」でした。網野善彦氏流に言えば、故に市が立ち、公界(くがい)が成立し自治都市となったものでした。その様は宣教師が本国に「ヴェニスの如し」と報告したとおりで、他の土地の民謡に「堺・住吉」と反転して唄われたほどでした。今日では様変わりしたように見える街ですが、その残照はあちこちに残っています。パンフレットを片手に散策してみてください。

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  4. お団子にしては上品な甘さですね。今は堺東の高島屋 2階で販売していますよ。  そして八百源来弘堂の 肉桂餅 次回はぜひこれを食べてください。にっきもち と読みます。 これも高島屋にあります。  甘いものの食べすぎでメタボに気をつけてね。

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  5. 堺愛好者さん コメントありがとうございます。
     思うに・・和菓子の味の解るのは大人になってからですね。
     こし餡の美味しさは人生のほろ苦さを知ってから解るのだと思います。独断と偏見ですが。

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