2026年8月30日日曜日

理系の論理

    5世紀の「倭の五王」のことだが、同時代の記録(文章)が日本にはないものだから、712年に完成した古事記、720年に完成した日本書紀と 、488年に完成した『宋書』倭国伝とを照らし合わせながら五王が書紀等にいうどの天皇かが論じられてきた。
 ところが、大きくは、百舌鳥や古市に大古墳を築いてきた「天皇」ということでは異論がなさそうだが、細部では『宋書』『梁書』に記録されている天皇の系図と、書紀等の系図が微妙に異なっている。
 そんな中でも、讃、珍、済、興、武の最後の武は雄略だろうということは多くの学者が認めている。
 その理由はいろいろあるが、古事記の「大長谷若建命(おおはつせのわかたけるのみこと)」、日本書紀の「大泊瀬幼武天皇(おおはつせのわかたけのすめらみこと)」の書紀が採用している「幼武」の「武」を中国風に名乗ったのだろうと言われている。
 しかし、そのような日本名の一字を名乗ったなら他の王もそうかというとそうでもなく、そもそも埼玉稲荷山鉄剣の金鐯銘は「獲加多支鹵大王」であるから、「幼武」のような訓読みはしていないから、訓読みの漢字はなかったのではないか。
 多くの学者が認めているというが、私にはその根拠となる理屈がもう一つ納得できない。その理屈だては理系の論立てだと×ではないか。

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