およそ10年前(2016年10月)の退職者会の「会報」を読み直してみたところ、退職者会であるからイコール高齢者ばかりなのだが、大阪の某居酒屋の2階で、数十人でボブ・ディランの『風に吹かれて』を大合唱 した記事が出てきた。ボブ・ディランのノーベル文学賞が発表された年だが、どちらが先だったかは忘れた。
「大阪広しといえども退職者会で『風に吹かれて』を大合唱したのはここだけでないか」という(豪語した?)ような思い出がよみがえった。
この歌については翌年2017年4月の京大入学式で山極壽一総長が式辞で要旨次のように訓示をされた。
🔳 さて、では常識にとらわれない自由な発想とはどういうことを言うのでしょうか。私が高校生だった1960年代に流行った歌があります。昨年ノーベル文学賞を受賞したボブディランの、
“ How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
人間として認められるのに、人はいったいどれだけ歩めばいいの?”
という問いで始まる歌です。そして、
“How many ears must one man have
Before he can hear people cry?
人々の悲しみを聞くために、人はいったいどれだけの耳をもたねばならないの?
How many deaths will it take till he knows
That too many people have died?
あまりにも多くの人が死んだと気づくまで、どれだけの死が必要なの?”
と続きます。それは、
“The answer, my friend, is blowin’ in the
wind
The answer is blowin’ in the wind
友よ、答えは風に吹かれている ”
という言葉で終わるのです。
これはボブディランが21歳のときに作った歌で、「答えは風に吹かれている」というのは、「答えは本にも載っていないし、テレビの知識人の討論でも得られない。風の中にあって、それが地上に落ちてきても、誰もつかもうとしないから、また飛んでいってしまう」という気持ちを表したものなのです。彼はこうも歌います。
“ How many times can a man turn his head
And pretend that he just doesn’t see? ”
そう、この歌は、誤りを知っていながら、その誤りから目をそらす人を強く非難しているのです。これは、1960年代に起こったアメリカの公民権運動の賛歌で、日本でも多くの若者が口ずさんだものです🔳
何か胸に痛みの走る文言といえる。「もう歳だから」と言い訳にしていないかという何かを思い起こさせる。
ネタニヤフとトランプのやっていることは、ベトナムの時と変わらない。しかし、日本の若者は、否、若者だけではない、元若者はこの歌をいま腕を組んで歌おうとしているだろうか。
心配するな、各地でペンライトが輝いているぞと、お互いに語り合いたいものだ。

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