崇神天皇(すじんてんのう)は、日本書紀によると第10代天皇だが、御肇國天皇(ハツクニシラススメラミコト)(天下を初めて治めた天皇)と呼ばれた。
つまり、3世紀ごろ、実在した可能性のある最初の天皇である。
天皇は宮中に、天照大神と倭大国魂神を祀っていたが、即位5年、疫病が流行して人口の半ばが失われたので翌年に天照大神と倭大国魂神を宮中の外に出すことにした。
天照大神は豊鍬入姫命に託して倭の笠縫邑に祀らせた。
天照大神は次の垂仁天皇(すいにんてんのう)の時代、さらにふさわしい宮処を求めて各地を転々とし、最終的に伊勢に落ち着いた。伊勢神宮の創始である。
その宮中の外で最初に天照大神が祀られた笠縫邑(元伊勢)の比定地については諸説があるが、一説によると現桜井市笠ともいわれている。
桜井市といっても天理市との境界で、大和神社、黒塚古墳、纏向遺跡、箸墓古墳等初期ヤマト政権の「大和・柳本古墳群」の奥の山といったところである。
以上前説(まえせつ)おわり。
竈の神様、『日本第一 笠山荒神社』のお札の更新もあるし、毎年薪竈で餅つきをしている身なれば「気は心」。
親がいた頃は元々台所には清荒神の布袋さんが祀られていたから、荒神さんには何となく親しみもある。
ちょうど秋季荒神大祭にぶつかって、ドンドンドンと花火の音で迎えられた。午後から用があったので神輿渡御まで残られなかったのは少し残念。
でもほどほどの賑わいが気分良かった。
目的のもう一つは荒神さん門前の『笠そば』で新そばを食べようということ。というか、実はこちらが本命だった。
と言っても、普通のそばと新そばの違いも判らない程度のビギナーで、要するにミーハー。
と言っても、普通のそばと新そばの違いも判らない程度のビギナーで、要するにミーハー。
農林省の肝いりで設立され、地元の皆さんが運営している『笠そば』は、普通新装開店当初は珍しいと賑わうが数年たつと寂れるものだが、続々とお客さんが絶えることなく、「この分だと今日だけで売り上げは〇〇〇を超えるな」と夫婦で下世話な話を話し合うほどの繁盛ぶりだった。
帰りに、荒神さんのお札と「そばドーナツ」を子供らの家に置いてきたが、わが夫婦の行楽のあまりのプチぶりにあきれられた。
新そばや古代史の地の村祭り
新そばや古代史の地の村祭り