江戸時代の窃盗犯、ねずみ小僧治郎吉(1797ー1832)は、汚職大名や悪徳商家から盗んだお金を貧しい庶民にばらまいた。その使途の「公益性」から庶民は「義賊」と言った。
違法行為である賭博(とばく)が、なぜ「公営ギャンブル」にだけ認められているのか。その理由はねずみ小僧と同じだ。【法務省の「賭博が違法とされないための八要件」参照】
私人が賭博場を開き、上がりを自分の懐に入れればただの犯罪だが、地方自治体などがおこなう「公営ギャンブル」は、賭博の上がりを住民サービスに使うから「公益性」があり、違法性が減じられるという理屈だ。
しかし1967年、東京都知事に当選した美濃部亮吉さんは「使途が良ければ違法行為が許されるというものではない。ねずみ小僧も犯罪者に変わりはない」と主張。「公営ギャンブル」を倫理の観点からきびしく批判した。
獄門(さらしくび)にあっても所得の再分配を果たし英雄気分でこの世を去ったであろうねずみ小僧治郎吉にすれば、まさかあとあと革新系の人に批判されるとは思わなかっただろう。
それはさておき、ねずみ小僧以前の、ただの犯罪である民営賭博を認めようというのが、今回の「カジノ実施法」で、「公益性」のひとかけらもない。
粗利益の七割がカジノ企業に、実態は株主配当として会長一族(ファミリー)にというのだからねずみ小僧もびっくり。
それでも外国人観光客が増えて経済が活性化するという主張があるが、2011年から2016年の外国人観光客の伸びは、お手本のシンガポールが124%、それに対してカジノのない日本は386%(大阪は595%)となっている。
こんなモラル崩壊の法案の担当大臣が公明党というのが情けない。「与党の中からブレーキをかける」という嘘も極まった。
こんな悪法を押し通そうとする自民、公明、維新の人たちは、ねずみ小僧以下ではないだろうか。
「一身の安堵を思わば、まず四表(しひょう)の静謐(せいひつ)を祈るべし〔自らの幸せのためにも、広く社会全体が平穏無事であるよう願い、そのような世の中になるために皆努力するべきだ〕」と申された日蓮上人も泣かれていないか。
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