2015年7月13日月曜日

70年前の戦争を考古学で考える

 4月24日の記事に書いたことだが、東京大学史料編纂所編「日本史の森をゆく」(中公新書)の中の小宮木代良氏の「歴史資料と言説」で著者は、「過去の出来事(事件)について、その「事実」に関しての共通認識といえるものがその社会内で存続しうる条件は、事件後70年目あたりを境目に大きく変化するのでないか・・・当事者が一人もいなくなった瞬間から、様々な言説が大手を振って歩きだす可能性は大いに考えられる」と述べている。
 戦争法案を巡る首相の答弁のことではなく、近世前期の「陶祖・李参平」言説についての分析なのだが、あまりに現代の実感とぴったりと合うのが怖いくらいだ。
 
 
(上の写真は浜松市の日露戦争時の凱旋紀念門)
 
 さて、12日、奈良大学で「戦後70年 考古学から見た戦争遺跡」という講演会があった。
 4人の講師から主として太平洋戦争時の「地に足のついた(歩けオロジーの)報告」が4本あった。
 ① 「国民と戦争のかかわり ―各地の戦争遺跡から―」
 ② 「戦争遺跡からみた沖縄戦」
 ③ 「大地に刻まれた戦争遺跡の傷跡 ―大阪」
 ④ 「水中の戦争遺跡 ―米艦エモンズと特攻機―」
 で、どれも新鮮な話題ばかりだった。(講演内容の紹介は省略)
 さらに、これも2011.7.9に「松下飛行機と盾津飛行場」という記事に書いたことだが、私の父がその松下飛行機で働いていたので我が家のヒストリーを知っておきたいと国立国会図書館関西館で調べてもらったが「軍需工場の資料は全く残っていません」というものだった。ということで思い出したのが、生前父は「終戦時に驚くほどありとあらゆる資料を焼却した」と語っていたことだった。そういう役職であった。
 だから、この講演会のテーマにいう、「70年前のことが考古学の対象になる」との見解には大賛成である。
 70年前の為政者たちは負の歴史の抹殺を図ったのであるから、焼却したことをいいことに歴史を修正する動きがいま大手を振っている。考古学者の出番であろう。
 
 近頃では千田学長の「城郭」が超有名であるが、元々古代史に強い(と私が思っている)奈良大学が、こんなテーマの講演会を開催した精神には心から拍手を送りたい。
 そういえば、戦後1期というような考古学の先生方の書籍を読むと、けっこう現実政治等についても思いっきって発言している。歩けオロジー 頑張れ!

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