2015年7月1日水曜日

千歳の命延ぶといふなり

烈布
  昨日は6月30日、昨年の印象がよかったので今年も式内社 往馬大社(いこま大社)へ行ってきた。
 古典の中では格式の高い神社だが、あまりに有名寺院の多い奈良県にあっては少々影の薄い存在だろうか。
 夏越大祓(なごしのおおはらえ)式が行われた。
 初穂料3000円ではあるが結構な授与品もあり、何よりも昇殿の上で名前も神前に読み上げられ、要するに単なる見物人ではなくその式に正式参加できるのがいい。
人形
  参加といっても、圧倒的には神官の修祓(しゅばつ)等に合せて頭を下げたり拍手をしたりだが、布を引き裂く烈布(れっぷ)があったり、人形(ひとがた)に息吹(いぶき)をしたり、「ああ、古代人はこのようにお祓いをしたのか」と実感させられるひと時だった。
 私は事前に「祓詞(はらえことば)」や「大祓詞(おおはらへのことば)」を持参したから、式の内容も理解が進んだ。
〽水無月の~
  式の最後は「茅の輪くぐり」で、これを古歌を歌いながら神官に付いて8の字でくぐるのだが、結果として孫は来なかったのだが孫が来たとき用にこれもプリントして持参していたので、〽水無月の~夏越しの祓する人は~ 千歳の命 延ぶといふなり~~ と唱和した。
 妻のプリントを見て「見せてください」という方に「どうぞ」とプリントをあげたところ、自信を持って唱和をされ、大いに喜んで帰り際にまでお礼を言われた。

 仏教と比較すると神社神道には経典もなく、それ故原始的、土俗的宗教と見られたりする。
 夏越しの大祓も茅の輪も初期の道教の考えとも言われている。
各自が家庭用の茅の輪を作り
  だいたい、半年間の諸々の罪穢れ(つみけがれ)を人形に移して水に流すというのもあまりに安直な発想だと私も思っていた。
 しかし、一呼吸おいて考えてみると、我々人間は100%清廉潔白に生きられるわけもなく、少なくとも半年分の日々を胸に手を当てて反省し、プラマイ、アウトかセーフかというとどうにかセーフの方で過ごせたことを感謝する宗教的行事って、結構ものごとの本質に迫っているのではないかとこの頃は思っている。
これを玄関に飾る

 
 

4 件のコメント:

  1. 昨年のブログでも拝見しましたが神官の紫の衣裳が素敵ですね。

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  2.  去年のブログを読み返してみるとほとんど同じなのでがっくり来ましたが、まあ、年々歳々花相似たり のようなものでしょうか。
     今年はブログには書きませんでしたが妻と義姉と3人で参加しましたので、歳々年々人同じからず といえるかもしれません。
     以前に私のミスでコメントが削除されてしまいましたが、たしかバラやんが「うちの神社でも〽水無月の~と歌いたいと思います」とコメントをくれたように覚えています。バラやんは歌ってくれたでしょうか。それとも、茗荷の食べ過ぎで・・・?

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  3.  うちの神社の今年の茅くぐりのある祭典は、今月17日です。残念ながら、水無月の~は歌いませんが神官の祝詞で厄払いをします。嬉しいことに、今年からこの輪抜けの祭典に、近くの保育園児も参加していただくことになりました。園児が来れば親や爺、婆も来ます。賑やかなことはいいことです。今年も輪抜けでお払いしていただくことが多く、神様も大忙しのことと思います。

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  4.  you tube で「水無月の夏越しの祓する人は」と検索すると枚岡神社で歌いながらくぐるのが出てきました。若干異なるところもありますが、だいたいこういうところです。バラやん、神主さんに見せて提案されては如何でしょう。

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