2014年8月12日火曜日

タマムシ

  法隆寺の玉蟲厨子の最初の所有者は推古天皇だと言われているから、この虫と日本人のお付き合いもすこぶる長い。
 2008年に玉蟲厨子のレプリカが作られたが、その時に要したタマムシの翅は約5000枚で、ほとんどは東南アジアで調達されたらしい。
  とすると、飛鳥時代にはタマムシが群舞していたのだろうか。決してそうとも考えられないから、当時としても超高級な厨子だったのだろう。
 さてさて、どのように5000枚を調達したのだろうかと想像の翼は広がる。
 「宝の虫」との名は「黄金虫」以上のレベルで、昆虫の女王と言ってもよい。
 だからと言うわけではないが、この虫に興奮するのは真っ当な日本人だと思う。
 本には、真夏の昼にエノキやケヤキの木の上を飛び回ると書いてある。
  あの光沢は、秋の田にキラキラのテープを張り巡らしたり、近頃では要らなくなったCDディスクを吊るしたりするように、鳥がキラキラ光るものを嫌がるからそのように「進化」したものらしい。
 写真は夕方にケヤキの木の上を飛び回っていたもので一瞬葉っぱにとまったもの。
 カメラを持ち出したらすぐに飛び立ってしまった。

 こんな素晴らしいタマムシだが、新聞紙上では「集団的自衛権、自公合意、重要部分で玉虫色」というような使い方が一般的で、腹黒い政党や政治家の記事に度々登場してかわいそうだ。
 そんなときにはもっと別の形容をしてタマムシの名誉を回復してやりたいと考える。

 昨日は台風11号のおかげ?で猛暑でなかった。
 そのためだろうか、今日(11日)は、クマゼミの蝉時雨の中に、ツクツクホーシの声を初めて聞いた。
 ツクツクホーシが7日の立秋を知っていたとも思えず、土の中で昨日「猛暑終了」と感じとり、慌てて出てきたのだと思う。
 ツクツクホーシが鳴き出し、「お盆やから殺生(虫捕り)したらあかんで」と言われたら、夏休みの終わりが少し遠くに見えてきて悲しかった、そんな小学生時代の記憶がよみがえる。

 話の中で3歳の孫が「ゲーム機を買ってほしい」と言うので驚いた。年上のお友達の話を見聞きしたからだろう。
 私が「ゲームよりも如何に虫捕りの方が楽しいか」を語ったら、今回のところは「虫捕りがいい」と言ってくれたが、何時までそんなことを言ってくれるかはわからない。
 タマムシの方が何倍も興奮するのになあ。

4 件のコメント:

  1. 12日には一斉に綴れさせ蟋蟀が鳴き始めました。一変に季節がひとつ進んだ気がします。

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  2.  今年の雨と風は台風銀座の高知でも半端じゃなかったです。友人の中には2度も床上浸水した不幸な方もいます。コウロギかキリギリスか分りませんが、今も家に周りでないています。羽の美しいタマムシは数年前はたくさん居ましたが、今はほとんど見たことがありません。玉虫厨子はこうして作られたか大変勉強になりました。

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  3.  高知に居たことのある息子が「台風でなくても関西の雨と高知の雨は雨粒の大きさが違う」と言っておりました。
     娘婿の叔母さんが高知でちょうど直撃コースの地だったので心配でした。
     ニュースを聞くたびに、国の予算や政策は軍事や大企業のために使うのでなく、国民生活の安全確保等に優先的に使ってほしいと再確認したところです。この国は病んでいます。

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  4.  白川静文字学では『虫は蒸すと同系の言葉で、虫は湿気の気から生じるもの」とありました。
     台風の大雨で虫の声が変化し、超古代の人びとの哲学に妙に感心しました。

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