孫を連れて祇園祭に行ったとき、孫が華麗な山鉾を前にして「ねえ、お祭りは何処?」と聞くので、「これがお祭りやないの」というと「違う」と言う。要するに孫のいうお祭りとは『ぼおどり』(ママ)=盆踊りのことで、いつ盆踊りが始まるのかと不満だったということがそのうちに解った。
義母は老人施設に入所しているが、そこでは『盆踊りばあさん』として有名になっている。
といって、義母は若い頃盆踊りが好きであちこち踊りに行っていたわけではなく、娘時代の農村の盆踊りは新盆の家を回ってその家の中庭等で踊るという、ほんとうに念仏踊りに近かったらしい。
だからそういう想い出とは関連性がなく、老人施設に入所してから、どんな音頭であっても炭坑節の振り一辺倒だが、盆踊りの曲を聞けば体が独りでに動くようになっている。
外泊の時にも、ユーチューブで盆踊りをするのを一番喜び、そんなとき此方は興奮しすぎることを抑制するのに必死になる。
そして「曾孫の夏ちゃんも盆踊りが大好きやで」というと、嬉しそうに「血いやなあ」と応える。
私は元々、戦後の町中に育ったから、「よい意味で」土俗的な盆踊りとは縁が遠かった。
しかし、櫓の上で音頭取りが歌う盆踊りは、文句なしに私の中の民族のDNAが覚えていたように感じている。
そんなことがあったから、以前にニュータウンで始まった夏祭りでは、「幼児向けのレコードで踊る盆踊りではあかん」と主張し、江州音頭の音頭取りを無理をして来てもらった。
夏休みが始まってから、近所のお寺、福祉施設、自治連合会単位の盆踊りが毎週のようにある。
そして、このあたりの締めの盆踊りは9月17日の東大寺二月堂十七夜盆踊りといわれているから、十七夜盆踊りの行燈用に孫の夏ちゃんの絵を送って申し込んである。
念仏踊り等のルーツは知らないが、念仏の思想からすると「現に生かされている有難さ」を歓喜したものではないだろうか。
もっと単純には、人間にとって楽しいひと時を作るなら神仏も楽しく喜んでくれるに違いないという奉納でもあったろう。
ただ孫はこの頃、レゲエのようなヒップホップのような『ぼおどり』をより好きになっている。
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