今朝は、老人介護施設の庭にもシャワーのように蝉時雨が降り注いでいたので、木の幹にへばり付いていた油蝉をヒョイと手で獲って建物に入って行った。
油蝉は、建物の中に持って入ると、ギーーっ ギーーっ と大きな声で鳴き叫び、ペットの猫が顔を引きつらせて逃げていった。
ところが、母の部屋の方々は、この強烈な鳴き声がほとんどの方には聞こえ辛そうで、「今、庭で獲りました。外は蝉時雨です。夏本番。」と言いながら、順番に見せてから耳のすぐそばに持っていったら「蝉の声だ!」「鳴いてる鳴いてる」と喜ばれ、夏を実感してもらえたようだった。(冷暖房完備の部屋で耳も遠いと季節の変化もなかなか実感できないようだ。)
そして、おまけに持って入った空蝉は本物以上に好評で、「空蝉の集会だ。」・・「そうだそうだ。」「いや違う。」「それはいい。」「そうしよう そうしよう。」「楽しいな。」という空蝉の会話の実況中継が始まった。(・・・と、まるで、そのような会話が弾んでいるようだね・・というはなし・・・)
その感性の豊かさにはいつもながら驚かされる。
耳も遠く、記憶も忘れがちで、言語も困難な老人達だが、だからと言って、外見のように幼児になったわけではないという至極当たり前のことを再認識。
片や、こういう感性を忘れた非老人(会社人間)と、どちらを健常者と言えばいいのだろうと笑ってしまう。
とは言うものの、偉そうなことはいえず、会話が通らずにイラっとすると、ともすると子供に話すような口ぶりになりやすく、老朗介護も実際には難しいことがいっぱいである。
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