2019年5月5日日曜日

元ネトウヨのコラム

   朝日新聞5月4日のこの記事は面白い。
 元ネトウヨ(ネット右翼)の塚崎昇平氏は自衛隊の航空ショーなどが好きで安全保障に関心を持った。
 関心のまゝに国防や国家のことをツイッターで呟いた。
 沖縄の地元紙や基地反対の人は「反日勢力」!という情報が渦巻く中で氏は同様に発信した。
 そういうことをネットで発信することで国を良くすることができると信じていた。

 そのため、ヘリパッド反対で座り込んでいる人たちを論破しようと出かけて行ったところ、そこには「日当を貰っている人」も「中国や韓国の人」もいないばかりか、ただ「生活を守りたい」という”想定外”の市民の言葉に気おされ、これまでは自分に都合の良い情報ばかりに触れていたと気づいた。

 で、沖縄地元紙の記者になり「ネット右翼でした」というコラムを書いた。
 「あなたの過去の発信で傷ついた人もいる」とも指摘されたという。
 結局、立場の違う人と話すことで世界が広がったし、そのことが非常に大切だと思う。

 大要はそんなところだった・・・私はいろんなことを感じ考えさせられた。
 避けて通れないネット社会の「フエイクニュース」の圧倒的な恐ろしさ。
 一方、それでも事実・真実はフェイクニュースを覆せるというある種の真理。
 新聞はおろかテレビの正規の報道番組すら見ないという若い人々らの風潮の広まりの中で、一市民として私に何ができるか。・・等々。

 フェイクニュースを含むネット社会全体の流れをを止めることはできないと私は思う。
 この春だけでも料理の注文をiPad的タブレットで行うお店3軒に出くわした。
 操作の基本はスマホと同じレベルである。
 ガラケー以前の人は「注文は聞きに来い」と怒っているが、私(わたし)的にはそういう老人の組に入りたくない。この流れは止めることはできないと思う。

 ネットを利用している人は、誰もがネット社会には不良な部分が混じっていることは濃淡は別にして解っていると思う。
 その中で人々は”よりまともな”ニュースには「何らかの人」を介して接近することになる。それは著名人であったり知人であったりする。そういう”知人”がネット社会の中で増えると嬉しいが、今はそのまともな仲介者が圧倒的に少ない。

 だとすると、それは人間性の問題だと言ってしまえば身も蓋もないが、日頃、自分勝手な人だ、人の話を聞かない人だなどと思われている人が、ネットやミニコミ上にご立派な文章を書いたからといって、そんな文字が力を持つはずもない。
 
 圧倒的なネットの世界と、広い友人知人とつなぐ位置に手作りニュースの重要な存在意義があるような気がしている。

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