2018年3月8日木曜日

昔話

   私自身は戦後レジームの申し子だと思っている。
 小さい頃はラジオから流れてくる民謡や浪曲がイライラするほどまどろっこしく感じられ、ジャズやアメリカンポップスに惹かれていた。
 その後に来る高度成長を予感させる時代に入り、街も道具も全てが音をたてて変わっていった。
 だから、グリム童話などには親しんだが日本の昔話などは全く触れずに生きてきた。
 その種のものに興味を持ち始めたのは、奈良に居住するようになって身近に寺社を感じるようになった「ほぼ高齢者」になってからのことだった。

 孫の夏ちゃんはもうすぐ1年生である。
 親のスマホを自由に使いこなす現代っ子だ。われわれ祖父母が驚くほどである。
 その夏ちゃんがインフルエンザで休んだのを私が看護に行ったことは昨日書いた。

 どんな様子かもわからないので、「もしかしたら寝込んでいるかも」と、とりあえず柳田国男の「日本の昔話」を持参した。
 今までの記憶からすると、そもそも本を聴くのもあんまり好きでないから、どうせダメだろうと思いつつ。
 近頃、孫のおかげでテレビの子ども番組やアニメを見る機会があるが、その登場人物やストーリーの展開は誠にシュールである。
 そういう環境下の夏ちゃんが昔話でもなかろうとは思いつつ・・・。

 さてその本であるが、柳田国男が「日本昔話集」を最初に刊行したのは昭和5年のことで、昭和16年に改めて出版、さらに昭和35年に改訂版が出版された。
 私の持参したのは昭和16年版である。
 なので児童文学と言っても「古文」の感じが濃厚で難しい。
 私はそれを最小限の注釈だけで夏ちゃんに読んであげた。

 読む前は「え~~? むかしばなし~~?」とあまり乗り気でなかった夏ちゃんであったが、最初の「猿の尾はなぜ短い」次の「海月骨無し」を読み、「どうする?」と聴くと「もっと読んで」と言うので、この予想外の反応に驚いた。
 結局、一つひとつは超短編ながら、「雀と啄木鳥」「鳩の孝行」「時鳥の兄弟」「時鳥と百舌」「梟染め屋」「蝉と大師様」「鷦鷯も鷹の仲間」「狸と螺」「貉と猿と獺」「猿と猫と鼠」「猿と蟇との餅競争」「猿聟入り」「山の神の靭」「鷲の卵」「弘済和尚と海亀」「猿正宗」と読んで、私が疲れたので終了した。

 言葉が難しいうえに「叺(かます)」や「御状箱(ごじょうばこ)」などなど知らない物や名詞まで出てくるからどこまで理解できたか知れないが、現代風勧善懲悪に整理される前の昔話の力強い生命力が夏ちゃんを引き込んだのかもしれない。
 自分のために、この本をもう一度読み返してみようという気分になった。

3 件のコメント:

  1.  その日(6日)の朝日の天声人語に「地獄の食堂・極楽の食堂」が載っていた。和道おっさんのブログで教えていただいていた法話(お経?仏教説話)である。
     夏ちゃんに地獄の長すぎるお箸で食べられない話をして、「そこでクイズです。極楽の人はどうして食べたのでしょう?」と話を続けたら、予想外に真剣に納得してくれた。法話恐るべし!

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  2.  「地獄の食堂」の話は、ずいぶん大人になってから知りましたが芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と並ぶえ~話、と思っていましたが法話だったんですね。
     話は変わりますが6日の「不知火」の写真の解説がありませんが教えてください。

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  3.  私もネットで知った程度の知識なのですが、苦海浄土の姉妹編と言えるような「天の魚(いを)」という石牟礼道子の作品を一人芝居で演じている人々がいます。(苦海浄土の芝居と言ってもいいようです。)制作し演じてきた方は亡くなったそうですが、それを受け継いだ公演が今も続けられているそうです。大阪で見る機会があれば見たいものです。

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