2018年3月29日木曜日

人として誠実


 ニュースの扱いは大きくないが、 天皇皇后夫妻が27日~29日沖縄を訪問されている。
 私は現天皇最後の地方訪問が何故沖縄なのかと考えた。一瞬、沖縄の反官邸意識の懐柔なのかと。
 しかし、ニュースサイト「リテラ」の記事によれば、それは「行かせたがらない」安倍官邸に対して、天皇側の渾身のメッセージというのが真実らしい。以下、リテラの記事を摘みながら思うところを述べる。

 そもそも、沖縄はいま、これまでにないくらい“本土”への反感が高まっている。背景にあるのはもちろん、安倍政権の“沖縄いじめ”政策だ。在日米軍の基地負担を沖縄へ押し付けようとする安倍政権は、基地反対の翁長雄志沖縄県知事との面会を拒み、振興予算を減額するなどを繰り返す一方、先の名護市市長選で自民党などが推薦した渡具知武豊氏が当選すると、名護市に交付金を再開するという、札束で横っ面をはたくような露骨な政策も展開してきた。また、安倍首相の側近議員や応援団メディアによる沖縄差別としか思えないようなグロテスクな沖縄攻撃も続いている。

 それに対して天皇は長年、沖縄に対して強い思いを抱いており、今回の訪沖は実に11回目にあたる。また、2003年の誕生日会見では、翌年1月に予定されていた沖縄訪問について「ここで58年前に非常に多くの血が流されたということを常に考えずにはいられません」と述べた上で、本土がアメリカの占領から独立したサンフランシスコ講和条約に触れながらこう続けている。

 「沖縄が復帰したのは31年前になりますが、これも日本との平和条約が発効してから20年後のことです。その間、沖縄の人々は日本復帰ということを非常に願って様々な運動をしてきました。このような沖縄の人々を迎えるに当たって日本人全体で沖縄の歴史や文化を学び、沖縄の人々への理解を深めていかなければならないと思っていたわけです。私自身もそのような気持ちで沖縄への理解を深めようと努めてきました。私にとっては沖縄の歴史をひもとくということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし、それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです。沖縄県の人々にそのような気持ちから少しでも力になればという思いを抱いてきました」

 「島津氏の血を受けている者として心の痛むこと」というのは、現天皇の母である香淳皇后が薩摩・島津藩の子孫(※父は久邇宮、母は島津公爵の娘)であることから、琉球侵攻で支配下に置いた歴史を鑑みてものだろう。天皇自ら沖縄・琉球に対する本土の“加害の歴史”を持ち出したうえで、「それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならない」と語る覚悟は、並大抵のものではない。

 1952428日は、前述のサンフランシスコ講和条約の発行日にあたる。第二次安倍政権はこの日を「主権回復の日」とし、政府主催で初めて式典を開いて、天皇・皇后に出席を要請した。式典の開催は、自民党が野党時代から公約にかかげるなど、安倍首相の強いこだわりがあった。

 しかし、天皇・皇后は事前段階からこの「主権回復の日」に拒絶感を示していた。毎日新聞の「考・皇室」というシリーズ記事がこう伝えている。 
 〈陛下は、式典への出席を求める政府側の事前説明に対し、「その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません」と指摘されていた〉(毎日新聞161224日付)

 つまり、天皇は、沖縄は1972年の本土復帰まで切り捨てられていたという事実を示し、政府に反論していたというのだ。さらに毎日記事は続けて、宮内庁元幹部の証言をこのように伝えている。 
 〈宮内庁の元幹部は「歴史的な事実を述べただけだが、陛下が政府の説明に指摘を加えることは非常に珍しい」と説明する。憲法で天皇は政治的権能を持たないと規定され、天皇の国事行為は「内閣の助言と承認に基づく」とされる。式典出席などの公的行為も内閣が責任を負う。元幹部は「政府の助言には象徴天皇として従わざるを得ない。国民統合の象徴として沖縄のことを常に案じている陛下にとって、苦渋の思いだった」と打ち明ける。〉

 しかし、結局、官邸が押し切るかたちで天皇、皇后は式典に出席させられた。しかも、式典当日、天皇・皇后が退席しようとしたとき、突然、会場の出席者らが両手を挙げて「天皇陛下万歳!」と叫んだ。安倍首相らも壇上でこれに続き、高らかに「天皇陛下万歳」を三唱したのである。

 天皇と皇后は、足を止め、会場をちらりと見やり、わずかに会釈してから会場を去った。その顔は険しく、微動だにしないものだった。

 昨夏から中日新聞などに掲載されているシリーズ記事「象徴考」によれば、「天皇陛下万歳」の唱和で見送られた天皇は、側近に「不満げな表情」で「私はなぜこの式典に出ることになったのか」と漏らしていたという(中日新聞17621日付)。(以上リテラ)

 世襲制であって憲法上も政治的権能を有しない天皇にこれ以上の期待を寄せるのは正しくない。
 また母の血筋に関わる責めを子が負う必要もないと思う。
 しかし、昨今、部下が部下がと責任逃れをする官邸周辺の人々の見難い態度を見せられるにつけ、現天皇皇后夫妻は人として誠実だと思うのはおかしいだろうか。

 その昔、労働組合の九州地協で沖縄の代表が鹿児島支部に対しては微妙な感情を抱いていることが解って、琉球侵攻や琉球処分が決して遠い歴史の図書館の世界ではないことを知って考えさせられたことを思い出した。
 辺野古の問題は他人のことではない。
 本土の人間も誠実に向かい合いたい。

2 件のコメント:

  1.  LITERAの記事は私も読みましたが現天皇が皇太子時代に昭和天皇が行けなかった沖縄に、石を投げつけられる覚悟で行き、実際、火炎瓶事件に遭遇してもひるまず沖訪を続けられたこと、その決意のほどは事件直後の談話で「多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものでなく、人々が長い年月をかけて、これを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」と語ったというエピソードを見てその断固たる決意のほどを感じました。

    返信削除
  2.  天皇を引用したりして政治を語るという気は全くありませんが、客観的に見て現天皇は安倍首相らの右翼的「天皇利用」に強い嫌悪感を示されているように思います。
     普通に人権が保障されていない特殊な立場が羨ましいというよりは痛ましい感じがします。
     そういう地平線上でいわゆるリベラルの人々も自然体で天皇を語ればよいと思うのです。
     現天皇夫婦は人として誠実だと感じられるところが多いと思います。

    返信削除