2024年5月28日火曜日

外京(げきょう)?

   「花だより」はいったん休憩して・・・、
 この本(奈良公園の案内書・極)を新刊紹介で知ったときは、旅行のガイドブックに毛の生えた程度のものだろうと一瞥していたが、「もちろん買う気でしょ」と妻も囃すので、結局購入したところ、結果は予想を覆す読み応えであった。
 それもそのはずで、執筆陣が一流の方々だったので、ナルホドと後で納得した。もちろん、千田稔監修であることは判っていたから、しっかりした内容だろうとは踏んではいたが。

 一箇所だけ紹介すると、平城京は南北九条、東西それぞれ四坊計八坊に、左京五条以北でさらに三坊分東に出ている。
 九条と八坊・・陰と陽の最大数で完璧な都城であるのになぜ東に五条と三坊張り出しているのか。そこが奈良公園である。

 この本はいう、明治の西洋的合理主義の学者たちにはそれは理解し難かったのでそこを「外京」と名づけたが、そこは春日の聖なる山々からのエネルギーを引き込む場であったし、何よりも藤原の都であったと。※
 この説全体を肯定するわけではないが、「外京」という言葉とイメージは払拭する必要がありそうだ。
 ・・というような問題提起もあり、ただのガイドブックではない、しっかりした書籍だと思う。

 ※ 正史である続日本紀には異常なほど藤原不比等の記述がない。当時の最高?権力者「不比等自身が削除させたのだろう」とは小笠原好彦先生の見解。千田稔先生が著書『平城京遷都』で「不比等は、名誉と権力のためならば、なりふりかまわないような人物であったのではないかと想像できる」と書かれている評価は辛すぎるかもしれないが、平城京は不比等の造った都ともいえる。その不比等が、「外京」などという意味不明の条坊を張り出したわけがない。今でも二月堂の舞台から西方を見ると明らかだが、この地(奈良公園)は大極殿さえ見下ろしている。「外京」などというチンケな名前でない相応しい名前を付けてほしいものだ。

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