2016年2月22日月曜日

「今」を大事にする 大竹しのぶさん

  2月21日付け赤旗日曜版第一面は、大竹しのぶさんの『ずっと「戦後」でいいんじゃない』と題したインタビュー記事で、朝日夕刊で連載中のエッセー『まあいいか』の出版を機に平和への思いなどを聞いたものだった。

 その冒頭、〈昨年9月、安保法案の審議がヤマ場を迎えていた日のエッセーでは、国会前の抗議集会に参加したことをつづりました。すでに違う原稿を出していたんですが、いきなり法案を採決しちゃうという動きになり、急きょ原稿を差し替えてもらいました〉とあったので、私はムラムラと当時のことを思い出した。

 「当時」というのは2015年10月1日の『しのぶさんに見習いたい』というこのブログの記事を書いた「当時」である。
 その記事で私は、9月30日に朝日新聞大阪本社版に載ったその記事(大竹しのぶさんが「急きょ差し替えて」と提出した原稿)の最後に『東京本社版では18日に掲載されました』とあった断り書きは、大阪本社編集局の自責の念かも知れないが、ジャーナリストとしてのセンスがないし根性がない!と書いたのだが、今回の赤旗の記事で、当時の思いをさらに深くした(大阪本社は「急きょ差し替えて」との大竹しのぶさんのお願いを却下したようだ)。

 赤旗のインタビューに大竹しのぶさんは、〈あの時、日本中の一人ひとりが「今自分たちが動かなくてはいけない」・・と考えたと思います。私も、その「今」を大事にしないといけないと思いました」と続くのだが、当時の朝日新聞大阪本社はその「今」を決定的に軽んじた。
 まさか、この素晴らしいエッセー掲載のタイミングを遅らせることで権力に迎合したとは思いたくもないが、勘繰りたくもなる『結果』であった。

 私自身、大竹しのぶさんの勇気、そしてその「今」を大事にするセンスに大いに学ばなければならないと反省した。
 元のエッセーは10月1日の記事に写真として掲載している。
 http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2015/10/blog-post_1.html

2 件のコメント:

  1.  長谷やん、久しぶりにコメントさせてもらいます。
     昨年9月の安保法案審議の山場で多くの国民が共有した「今」を、大竹さんのエッセーを通して現在につなげようとする長谷やんの思いがひしひしと伝わてきました。
     そうなんです。人はだれしも怒りや感動といった「その瞬間」の感情を大切にし、持続させなければと思うのですが、現実にはなかなか困難なことを知っています。だから大竹さんや長谷やんのような努力を繰り返し行う必要があるのでしょうね。
     私のブログの「今を仏教で生きる」の今もそんな思いを込めたのですが、その達成状況は目を覆うばかりです。

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  2.  社交辞令抜きで和道おっさんのブログの現代性という「今」にはいつも感心しています。私の思い付きの心情吐露など問題外です。最近の「僧侶の事件」の掘り下げなどはあまりに内容が深いのでコメントもできませんでした。
     正直にいうと介護とイクジイで心が疲れるときがママありますが、ブログへのコメントなどを戴くと元気が出てまた歩き出せます。

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