2016年2月29日月曜日

俳句ブーム

  朝日新聞夕刊に「キュー」という島﨑今日子さんの番組批評の連載コーナーがあり、その2月24日掲載号が「俳句の魅力 伝える工夫」というものだった。
 「ジムでテレビ付きのトレッドミルを歩いていたら、隣の人(さらに6人中2人)が〔俳句王国をゆく〕を熱心に見ていた」というところから話は始まり、「高齢化社会の日本に俳句ブームが来た?」で結ばれていた。

 今、一週間のテレビ番組で一番私が笑うのは「プレバト」の俳句コーナーだ。
 先生の夏井いつきさんの的確な「毒舌」が見事である。他のコーナーの先生には申し訳ないが、「ラベルが違う」(大昔のジョーク)。
 写真はネットから引っ張ったテレビ画面だが、満開の桜の写真を見て「桜色 学ぶ瞳に 夢開く」という句を「才能なしの典型的パターンだ」と一刀両断に斬り捨てているところだ。※
 だから、他のNHKなどの俳句の番組の先生方の批評には、夏井先生に比べてどうも生ぬるさを感じる。(ただの素人の感想)

 ところが、夏井先生の的確な指導を度々視聴してきた私だが、いざ「プレバト」のお題の写真を見せられても私の頭には一向に句は浮かばない。よくよく私の頭は散文的にできているらしい。で、俳句の代わりにこんな散文をブログに書いている。

 ただ、言い訳がましいが、質より量のブログを続けるのも結構難しい。
 俳句を捻る方々が俳句手帳を片手に風景を凝視されているように、私も常に「何かの発見がないか」と自然や社会問題を考えるようにしているが、そうやすやすとテーマは見つからないし、文章の料理方法も浮かんでこない。
 それでも、俳句のように芸術的でも高尚でもないが、この生活リズムがボケ防止にはいいのではないかと勝手に思っている。
 そして、俳句(投句)にも締切があるように、ブログを書くのにも自分で期限を切って「週に最低2本」と追い込むことが必要で、そこを外すと根が怠惰な私などはズルズルと安易に流れそうで、いわば日々宿題を自分に課している。

 さて、俳句に戻って、まず俳句を作るためには俳句手帳を持つ必要がありそうだが、そうすれば妻はきっと「いつも形から入ろうとばかりして」というに違いない。
 確かに、道具を揃えているうちに「やった」気になり結局しなかったことが山ほどある。
 手帳はないが、俳句の本も数冊はくだらない。ああ。


 ※ 才能ナシ6位は、真琴つばさ。35点。
    桜色 学ぶ瞳に 夢開く
 査定:選ぶ言葉が安易で、才能ナシの典型的パターン。
    「桜色」は色の種類を言ってるだけで、
      季語として機能していない。
    何かいったら「夢」「夢」、
      夢の句はもううんざり(怒)
    ただ、ちょっとだけ誉めたいのは、
      「学ぶ瞳」で人物が見えてくる。
 添削:桜咲く 学ぶ瞳に 開く明日 
 鉄則:安易に夢を使わない。

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