2016年2月2日火曜日

方相氏 顕わる

戈と盾を持った方相氏 顕わる
  明日は節分。
 鬼追いのルーツは追儺(ついな)式であるが、福永光司、千田稔、高橋徹著「日本の道教遺跡」によると、追儺式は儒教の経典「周礼(しゅらい)」に書かれた中国の古い(紀元前の)儀式で、日本(宮中)が忠実に見習った行事である。
 日本書紀には慶雲3年(706)に文部天皇が「はじめて大儺(つまり追儺)を行なった」とある。

 「延喜式(平安中期(927)に編纂された律令の施行細則)」や「江家次第(~1111)(平安後期に大江匡房が著した有職故実書)」によれば大舎人寮の舎人が鬼の役を務め、大舎人長が方相氏(ほうそうし)になった。
 方相氏とは周代(紀元前1046頃~紀元前256)に鬼を追う役職だったが、後に疫病を払う神となった。
 方相氏は黄金の四つの目玉をもつ仮面をかぶり、黒の衣に赤の袴をつけ、戈と盾を持っている。
 「江家次第」によれば、大晦日の夜に方相氏が大声を出して、戈で盾を三度打つ。群臣がそれに呼応して桃の弓、葦の矢、桃の杖をもって鬼を追う。鬼は四方の各門を回り、清涼殿東北の滝口の戸から逃げ出すが、方相氏は終始先頭になって追う。

 ・・・と読んできて「オイ オイ オイ」と言いたくなった。豆を撒かないのか???
 結論を急いで言えば、古くにはこのとおり豆撒きがなかったが、道教の経典「神農本草経」に豆が鬼毒を殺すとあり、「延喜式」の祭文等には道教用語が続々と出てくるし、翌元旦の「四方拝」が道教の儀式そのものであるところからも、道教の呪術である豆撒きと一体となって今日のように「進化」したらしい。日にちも大晦日から節分に移動した(立春正月としてなら移動していない)。
 宇多天皇(890~897)の時代に鞍馬寺毘沙門天の託宣で鬼に豆を打って追い払ったとある。
 そういう中で、病気や不幸は(邪)鬼のせいだと考え、その侵入が予想される出口の向こうの仮想敵に豆を打ちつければそれが防げそうだという、非常に解りやすいロジック=信仰が庶民に受けて広がったのだろう。

 ということで、今年は孫のために方相氏のお面と戈と盾を制作した。
 ただ、9世紀には方相氏が鬼を追う役から鬼とともに追われる側に代わったらしい(というか方相氏が鬼の原型になったりした)からここは判断が難しいのだが、我が家では古式に戻って追う方とした。
 写真のとおり、この凛々しい方相氏が今年我が家に侵入を計る邪鬼を祓ってくれることは100%間違いない。

 明日の節分にはもう一人の方相氏が家族そろって我が家に来てくれる。
 恵方巻を食べて豆撒きをしてみんなで節分のパーティーをする予定だ。
 今年は寺社の行事には出かけられないが、我が家で鬼になれるのが一番嬉しい。
 さあ、隣近所が驚くほど大きな声で豆撒きをするぞ。

 なお、我が家では節分に「鬼は外 福は内 戌亥の隅にどっさりこ」と言って豆を撒く。
 その我が家に伝わる「戌亥の隅・・」の言葉の意味について考察した結果については、2013.2.15「戌亥の隅にどっさりこ 考」http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2013/02/blog-post_15.html、
2013.2.23「続 戌亥の隅にどっさりこ 考」http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2013/02/blog-post_23.html に私見を書いているので、興味のあるお方はご笑覧頂きたい。
 オマケとして、2011.12.18の「鬼の末裔」http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2011/12/blog-post_18.html で妻が鬼の末裔であることも書いておいた。

4 件のコメント:

  1.  「節分に初めて豆まきをしたのは何時の誰なのか」解りません。全然別の話ですが、あの「クスダマを初めて作った人」も解りません。いざ調べてみると解らないことばかりです。解らなくても日常生活に全く支障はありませんが、なんとなく「はらふくるるわざ」です。
     平安時代、節分には「節分違え」といって方違えをし、略式で屋敷内の別の部屋に方違えする場合、先ずその部屋に豆を撒いて浄めた・・という文章も見つけたには見つけましたが。

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  2.  長谷やんの古いブログ「鬼の末裔」を読まさせて頂きました。双子座流星群などの懐かしい言葉が書かれていました。私も流星群を見て興奮していました。もっと昔のことであるような感覚ですが、まだ4年少ししか経過していません。
     長谷やんの嫁さんは、「鬼の末裔」に間違いないと思いました。私も今日の節分は「福は内、鬼も内」と言って豆まきをしてみます。(「鬼の末裔」のところに戴いたコメントを此方にコピーさせていただきました。長谷やん)

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  3.  鬼とは何ぞや!ということも興味深いですね。素朴な自然の驚異や疫病をもたらす者でもありますが、権力に頭を下げなかった者、健常者でないと思われた者など不当なレッテルを貼られた者も多いように思います。なので「鬼も内」は崇高なスローガンかも知れません。でも孫には「鬼は外」が解りやすいかも。

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  4.  「戌亥の隅」の考察は結構力作ではなかったかと自惚れています。
     で、我が家の神門は18世紀フランスのアレグランの代表作「水浴」の女神が守護してくれています。(結果オーライの話ですが)

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