2016年2月11日木曜日

ゆりの木受難

  退職者会会報の書評欄に友人が「小学館新書:町内会は義務ですか―コミュニティーと自由の実践―」を採り上げていた。
 NHKのクローズアップ現代や朝日新聞でも度々議論されてきた古くて新しいテーマである。
 友人の書いた書評では、「基本はボランティア」「地域にとって必要なことは税金でやり、町内会はプラスアルファ」という原則が重要で、一番大事なことは親睦や交流によるコミュニティー(共同体)意識をつくりだすことだと述べ、「自助・自立」「共助」論で町内会を持ち上げて「公助」抑制ありきを見落としてはならないと指摘していた。

 さて、我が街の町内会はというと近年は未加入者も少なくないし、役員も輪番というか押し付け合いで活発ではないが、その分、変に寄付金の強制や自治体業務の下請けのようなものも少ない。
 結果として、良くも悪くも、コミュニティー意識も希薄になりがちな新興住宅街の典型的な町内会というような微妙な特徴を持っている。
 
 そんな折、自治体の議会だよりを読んでいたら、「なぜ街路樹を伐採したのか」という議員の批判に対して自治体当局が「地元自治会からの要望である」と答えているのが飛び込んできた。
 我が街よりもさらに新しいニュータウンのことである。
 
 他地域のことであるから真相は知らないが、地元自治会が要望したというのならどんな理由なのだろうと興味が湧いた。
 ゆりの木だというのだから最初に思いついたのは大量の落ち葉である。(プラタナスと負けず劣らずの大きな枯葉である)
 あるいは初夏の毛虫の発生か。
 あるいは見通しが悪いとか、日陰になりすぎる・・だろうか。
 私自身の経験からしても、大量の落ち葉も毛虫の大発生も嫌になる。
 それらを、「我が街は我が手で綺麗に!」と言われても、高齢者や共稼ぎ家族では手に負えない。
 しかし、せっかくの街路樹を伐採という選択肢しかなかったのだろうか。

 話は飛ぶが、日本の大きな企業には職場に民主主義がないと言われている。
 企業経営を民主主義でやっていたら会社がつぶれると言わんばかりのトップダウンである。
 その上に、本来民主主義の担い手になるべき労働組合も組織率が低下しており、オマケに会社の息のかかった御用組合が少なくない。
 だから、ああでもないこうでもないという議論を調整する一人一人の能力が極端に落ちている。それは町内会でも男性が発言すればよく判る。

 元に戻って、現代日本人は先に述べた企業生活の大いなる影響を受けて、異なる立場、異なる意見に心配りをする度量が狭くなっているように私は思う。
 相手の意見に耳を傾けてああでもないこうでもないと議論する中からコミュニティー意識もホンマものになるのではないだろうか。だからこのことは、ほんとうは大切な問題でもある。
 ゆりの木の伐採が絶対に良くないという気はないが、どんな議論があったのだろうか、それ以外の結論はなかったのだろうかと私は思う。
 と言えるのも私がリタイヤしてかつ比較的元気な高齢者だからで、共稼ぎの若い頃なら、行政が対応しきれない街路樹なら伐採してくれと言っていたかもしれない。
 一昔前ならもっとスッパリと竹を割ったように答えを出したかもしれないが、歳のせいかいろんな人の気分や言い分が解って答えるのに難儀する。
 緑豊かな街づくりという大義名分で、「地元自治会」の早急と思われる結論を批判することは容易いがそれだけでは済まない気もする。

0 件のコメント:

コメントを投稿