8月の新聞各紙には戦時中を振り返る記事がたくさんあったが、70年という時の経過の結果、どうしても敗戦時には子供~青年だったという方々の声が私には目立った。
そんな中で私が「ヘ~ッ」と思ったことの二つは、① 大人以上に子供たちは「神風が吹いて必ず勝つ」とほんとうに信じていたこと、② 戦後は、民主主義になったとはいうものの戦時中のことを語ることが長い間タブー視されていたこと・・の2点だった。
①には、教育の持っている恐ろしさを再確認させられたし(大人はホンネとタテマエだったとしても子供は実際に洗脳させられた)、②に関しては、非人道的な加害行為や、反対に幼児を手放したりレイプされたりという極限の体験が暗黙の共通認識となって、お互いに戦時中の経験を聞かない、話さないという、今の言葉で言えば「空気を読む」というような感じで、いたわりあうルールがあったらしい。そういうことを目から鱗の感じで気付かせてくれたのは澤地久枝さんの話からだった。
だから、よくいう「戦前は大変だった」というような言葉ではカバーしきれない重い諸事実を私たち(少なくとも私)は、まだまだ心から理解できていないのではないだろうか。
22日の朝日新聞に面白い4コマ漫画があった。
「ニッポンノ ドーデモイイコト ナンデモイイカラ ホメマクレバ オ金モラエル スバラシイ (ニッポンノ テレビノ) 仕事デース」とは、近頃のテレビ番組の傾向を鋭く皮肉っているように思う。
誰でも『自分が所属している集団』を誉められて悪い気はしないだろうし、その種の郷土愛やスポーツのフアン心理のようなものがあって悪いわけではない。
しかし近頃のテレビの傾向は、「神国ニッポン」「鬼畜米英」「チョンやチャンコロ(という差別語)」と言っていた時代の空気とは別種のものだろうか。
書店に山積みにされている嫌中、嫌韓の出版物は別種のものだろうか。
もし、そこに黒幕がいる!と感じなければ現状は戦時中の子供たちと変わらない。
昭和11年にNHKから「国民歌謡」として放送された『日本よい国』の歌詞は・・・、
〽日本よい国み神の国よ
何を荒波いはほは不動
どんとうつ波さつとうち返す
意気だ豪気だ久遠の国だ
こゝに日が照る月も照る
・・・だった。(この歌詞のレベルの低さに比べ、果たした影響の大きさに戦慄しないのは鈍感のそしりを免れない)
「日本の良いところもあるし他国にも良いところがある」「何年か前の日本もそうだった」と語る姿勢こそが大人の姿勢ではないだろうか。
「汚染水は完全にコントロールされている」「日本の火山は大爆発しない」「兵力という暴力でテロの危険はなくなる」と信じてオリンピックに浮かれているのは『日本よい国』の時代と同じではないかと私は気が塞ぐ。
0 件のコメント:
コメントを投稿