2015年8月16日日曜日

タマムシに失礼


  14日の夕方に、安倍首相の「戦後70年談話」をテレビで観た。
 安倍首相は村山談話や小泉談話にあった「侵略」「植民地支配」「反省」「お詫び」の言葉を述べないのではないかという観測もあったが、安倍談話にはこれらの言葉がちりばめられていた。
 だから、翌朝の朝日新聞の1面大見出しは『「侵略」「おわび」言及』だった。
 しかし、それは過去の政権がそのように表明してきたという事実に言及しただけで、安倍政権としてどう考えているかについてはあえてそれらの文言を語らなかった。
 だから質疑の際には「侵略にあたるか否かについては歴史家の議論にゆだねるべきだ」と強調し、「日本が国策を誤り植民地支配と侵略を行った」と「痛切に反省」した村山談話を否定したところにこそ安倍談話の本質がある。
 こういう文書を一般に『玉虫色』といい、「どうにでも解釈できる曖昧な表現」と言われている。
 しかし私は、こんな安物の文書に「玉虫色」というのはタマムシに失礼だと思う。
 韓国の植民地化に進んだ日露戦争を「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた」と歴史を歪曲し、「子や孫、その先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と、国家の責任と個人の問題をあえてすり替えて語った件(くだり)ではその不誠実さに気分が悪くなった。
 そんな折、江弘樹氏のツイッターが飛び込んできた。安倍談話の大阪弁訳としてある。
 『欧米列強が世界分割しとる時代に日露戦争で一矢報いた日本はアジアの星やった。侵略て言われたらそうかもしれんけどな、やらなやられたでしゃあない、オレらとしては挑戦やわな。まあ負けてしもた。せやけどこれまでせんど詫びて来た。これでお詫びはヤンピやなあ』というもの。
 大阪弁というより泉州弁のように感じられるが、首相の気持ちを正確に代弁している。

 この間から、タマムシが飛んできたごとに妻に「タマムシが来たぞ」と教えたが、妻が2階に上がってくるまでに飛び去ってしまったり樹の中に隠れたりで見せてあげることができなかったが、今回はキチンと見せることができ、二人で暫し「飛ぶ宝石」を堪能した。
 重ねて言うが、こんなタマムシに「玉虫色の談話」は失礼だ。

3 件のコメント:

  1.  記事では「安倍談話の主旋律は村山談話の否定だ」と書いたが、これが1年前であったならもっと露骨にそう言っていたことだろう。それが、玉虫色に4つのキーワードをちりばめてこのように解り難いものとなった理由は何だろうか。ずばり、戦争法案に反対する世論の高まりだろう。そこのところに確信を持って、理性の声を広めて行きたいものである。
     先日の記事で「パッとしない迎え火になった」と書いたが、今日は納得できる送り火となった。

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  2. 「君らに肩身の狭い思いをさせたくないから、オッチャんが謝っといたる」というツモリでもないようだし、なんとも頼りない、不誠実な談話で、ホンマに「胸クソわるい奴ちゃな!」。
    こんな奴、早よヤンペにささなアカン!。(河内弁)

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  3.  「子や孫の世代に謝罪の宿命・・」で言えば、戦争を立案遂行した人物を除いて戦後の人々、いわんや子や孫に「日本人の子孫」という理由で罪があり謝罪の必要があるわけではありません。岸信介氏には責任がありますが、その孫ということだけで安倍晋三氏に責任はありません。昭和天皇と現天皇の関係も同じことです。
     しかし、この国としては被害を与えた国々と国民に対する謝罪は、相手が「もういいよ」というまで誠実に行うべきで、国を代表する公人にはそれを続ける責任があります。
     この性格の違う二つのものごとを知った上でごちゃ混ぜにして、日本帝国時代の国と戦犯たちの加害責任をチャラにしようとするのが安倍談話で、その論法は典型的なファシストの扇動方法です。
     このことを明確に批判することが重要ではないでしょうか。

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