古代の遺物などを見ていると、その頃の人々が鳥や虫たちを『異界からの使者』と認識していたと想像できる。
中国のミイラは口に玉蝉を含んでいたし、日本の古墳には水鳥や鶏の埴輪がそなえられていた。
そこで心をその時代に遊ばせてみると、この昆虫こそが使者に相応しい出で立ちではないかと想像の翼が広がる。
だから玉虫というよりも魂虫と私は書きたい。
今年も家の前の欅の樹に魂虫がやって来た。二匹はカップルで卵を産みに来たのだろうか。
魂虫よ! 君が使者なら、病気と闘う幼い子供に幸あれと異界の神仏に伝えてほしい。
本によると、魂虫の大好物は榎(えのき)らしい。そして、江戸時代、浅草伝法院の山門に大榎があり、その下に浅草餅の店があったそうだ。
で、玉虫を浅草餅の子が見付け という句が残っている。
7日、写真追加
「魂虫逢瀬のトキ」
『昆虫はすごい』丸山宗利著光文社新書の「玉虫色の意味」には、「生物の色彩の意味については、ほとんど何もわかっていないといってよい」と書かれています。
返信削除秋の田にCDをぶら提げてありますが、玉虫の金属的な光沢を鳥が嫌うのでしょうか。
人の目で感じているほど目立っていないのでしょうか。
光沢のある毒虫や臭い虫に擬態しているのでしょうか。
真夏のギラギラした太陽の下では反って目立たないのでしょうか。
撮影のために注視しながら考えましたがもうひとつわかりませんでした。
炎天の向こうから魂虫盂蘭盆会
返信削除妻は「炎天も玉虫も盂蘭盆会も季語で季語重なり」「おまけに夏の季語と秋の季語」とけんもほろろ。
返信削除お宅にも夏井先生(プレバト超辛口先生)がおられましたか!
返信削除『金子兜太の俳句入門』の【一】は「季語にこだわらない」から始まるのですが・・・?
返信削除どうも私は即物的というか散文的というか、思いが広がりません。
夏井先生の辛口解説には心底感心しています。
俳句がダメなら写真だけでも評価をしてください。葉に留まると判らなくなるし飛んでいるのは望遠の外に行ってしまうし、けっこう努力しました。