文化財学や史学等の世界では有名な近所の奈良大学の書籍コーナーで、面白そうだから『奈良民俗紀行』という本を買ってきた。
奈良県立民俗博物館の課長等を経験した著者が、主に奈良県北西部の村々(集落)の民俗行事を訪ね歩いた記録である。
開いてみると、義母の実家の集落の行事も載っていた。
そんなものだから、義母の入所している施設に妻がこの本を持参したところ、掲載されている写真に予想外の興味を示したと言って帰ってきた。
昨今は何事に付け意欲や興味が薄れている義母であるが、私が昔の生活を知りたがっている・・・だから農作業のあれこれを教えてやらねばならない・・ということ(使命感)だけはしっかりとインプットされているようだ。
私としては、義母の集落の行事のことなどを聞きたいのだが、それらの多くは「もう忘れた」と言う。
そして、私が行ったときには、土臼の写真を指差して、籾すりの話を訥々と語ってくれた。(ほんとうは、この話はもう何回も聞いた。)
さらには、六斎念仏、新盆の家での盆踊り、如来さん(融通念仏宗の行事)、御田祭り等の写真について、記憶の断片を探し出して語ってくれた。
日頃は半生の中の辛かったことや捉えどころのない不安を口にする義母であるが、この話のときには見違えるように前向きに見える。
これって回想療法ではないですか。
とかく老人介護の世界では、回想療法だとか音楽療法だとか立派なマニュアルが存在するが、そういうマニュアルに沿った専門家のあれこれも立派であるが、時として、事実から出発するのでなくマニュアルから出発しているのではないかと思うこともある。「音楽療法と言えば童謡」という類である。
偉そうなことは言えないが、無手勝流回想療法のお陰で、目下のところ義母は、できるだけ米作りのノウハウを、農村文化を全く知らない娘婿に教えてやらなければならないと必死である。それも生きる力を後押ししているのだと私は自惚れている。
専門的な書店に「回想法のための写真集」というようなものがあった。3千数百円×何巻というものでちょっとしたものである。
返信削除手に取ってパラパラとめくってみると、1950年代、60年代の懐かしい写真がいっぱいである。
ということは??? この本は我々の親の回想法ではなく、我々の世代の回想法ではないか。
客観的には、私は回想法の対象年齢らしい。
勘弁してくださいよ。