2014年4月13日日曜日

アナログもよろし

花の盛りは10日/365日もない
  4月3日に『人皆やさし桃の花』を書いたが、要旨は、①少なくない人々が桃は3月3日頃に咲くと誤解している。②だから我が家の花桃に『花桃』と名札を付けた。③そしたら妻が「短冊でしょ」と言うので『野に出れば人皆やさし桃の花 高野素十』という短冊を提げた。というものだった。
 買被ってもらうと困るので正直にいうが、私には俳句の素養はない。これは大歳時記の桃の項で見つけた句でしかないし、短冊はパソコンで作成した。
 
 4月某日、妻が「はい、ラブレター」と言って私に何かを手渡した。
 それは、「高野素十の句、有難う存じます。私も、素十の句が好きで、ことにこの句! 額に仕立てました。お心づかいに感謝です。いつもお庭のお手入れに感心いたして居る者です。」との便箋と四つ葉のクローバーの押し花だった。ポストに投函されていたらしい。
 
 恐縮というか恥ずかしさでいっぱいだが、ここは素直に喜ぶことにしよう。
 いわゆる新興住宅街。そして、コミュニティーの活動に積極的でもない私だが、この街もまんざら捨てたものでないと言ったところだろうか。
 職場同僚というような文句なしの人間関係を卒業し、地域の老人会に入るには未だ抵抗のある端境期で、どちらかというとデジタルのソシャールネットワークの方に関心が行っていたが、こんなアナログの最たる『短冊』から、知らぬ人と知らないままで心が通いあうのも嬉しい。
 
 庭の木に短冊を提げるなんて、おっちょこちょいの極みかも知れないが、何もしなければ何も起こらない。
 また少し、人生が楽しくなってきた。

3 件のコメント:

  1. いやー、けっこう々、風雅のわかる御仁がいるようですな。

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  2.  江國滋の「俳句とあそぶ法」をみると我が国の俳人人口は百万人から八百万人とあった。アバウトもええところだが、これをとりあえず「風雅のわかるお方」と勘定しても相当な数である。
     とすると、「いるようですな」ではなく街中は風雅なお方であふれており、私の方がそれから遠い野暮な少数派なのだろう。
     で、「誰でもできる」「遊べばよい」という氏のおだてに乗って一句。
     さりながら急ぐ用なし木の芽どき 艸田老
     どなたか添削をお願いします。

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  3.  課題はいっぱいあるのである。仕事はいっぱいあるのである。しかし怠け心は「私一人が休んだとしても」などという屁理屈をつけて「まあ今日のところは急ぐ用でもない」とサボり、木の芽どきの私の心はなんとなく沈むのである。
     「くさたろう」と読もうか「そうたろう」と読もうか。

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