2014年4月23日水曜日

所業無情

  放生会(ほうじょうえ)というと8月15日に行われる八幡さんのが有名だが、興福寺では毎年4月17日に「放生会」が行われ、心温まる恒例行事としてテレビのニュースでも放映されていた。
 これについて、先日のミツバチのブログの「ハナアブ」を教えていただいた谷幸三先生がツイッターで呟いていた。曰く、
 『仏教の、命はすべて平等という思想に基づき、とらえた生き物を放して供養する行事。南円堂横の一言観音堂で法要の後、猿沢池に鯉を放しています。』
 『約1700匹の鯉が放たれましたが、すぐにミシシッピアカミミガメやコサギ、アオサギ、カワウ、カイツブリ等の餌になり大部分が殺されてしまいます。鯉の命を大切にしていると思えません。』
 『昔から行われている行事で、これに対して反対をするつもりはないのですが、生き物を放流することが良いことだとの思想を一般の人にうえつけられていることが心配です。般若心経を唱えているとこです。』
 ・・・・琵琶湖の外来魚(亀)問題同様のことが猿沢池でも起こっているらしい。先生の指摘の主眼はここのようだ。
 このツイッター及びフェースブックの反響は大きく、鯉といってもこれらは中国産の鯉を品種改良したものだとか、日本の固有種の魚でも河川や地域で異なっているため、外来魚に限らず放流は控えるべきだとの意見も多かった。・・・・ただし、私には議論に噛めるほどの知識がない。

 19日、猿沢池の横を通った時、私の頭の上をちょうどカワウ(川鵜)が数羽飛んできた。
 私は、ここでカイツブリは度々見たし、アオサギなどのサギ類も見たことがあるが、カワウが数羽も飛んできたのは見たことがなかったから、ちょっとした異変のように感じた。
 そのカワウが、頻繁に沈没(潜水)し、浮き上がって顔をあげるたびに結構な大きさの橙色の鯉を呑み込むのである。ショッキングな光景だった。
 カイツブリやアオサギが時々というか偶に小魚をキャッチするのとはレベルの違う修羅場に感じられ、谷先生のツイッターを思い出した。
 水鳥に施したと思えばそれもまた放生会の一種かも知れないし、動物が生きるということは往々にして他人の命を「いただく」ことなのだから当然のことだろうが、こと鯉については「放生などされずに個人に買われて池か水槽で飼われたかった。」と言っているかもしれず、ちょっと残酷なショウを見ているような不快感があった。
 といって、これが最初から北帰行前の水鳥のための施しと銘打ってドジョウなどを池に撒いたのなら、人は感激して水鳥の狩猟と捕食を見守ることだろう。
 つまり、人の(私の)感情というのは勝手でええ加減なものである。 
 だから、所業無情だなどと嫌味を言わず、諸行無常・諸行無常と達観するのが正しい仏の道なのだろうか。

6 件のコメント:

  1.  久しぶりにコメントします。
     「所業無情」のテーマを見て、「ここは私の出番かな」と思いつつ、記事を読ませていただきました。
     ところが長谷やんの文意のひねりがきつすぎて、「所業無情」から「諸行無常」への飛躍の意味を理解するのに戸惑いました。
     放生会の持つ残酷さを「情け容赦のない行為(所業無情)」などと、ことさら嫌味たらしく言わずに、その残酷な行為も含めて、「一切のものが変化する存在(諸行無常)」だと教えるのが仏教の味わいだと受けとめよう、ということなのでしょうか。
     おせっかいなコメントになってしまいましたが、ご容赦を。

    返信削除
  2.  興福寺さんは素直に鯉を池に放してあげたのだと思います。新聞もテレビもそれを「暖かい行事」と報じています。そもそも世の中は諸行無常なのでしょうから、この話はそれだけで終えておけばハッピーエンドなのでしょう。しかし私の目撃した現実は鯉にとっては生き地獄でショッキングなことでした。が、水鳥にとっては有難いお恵みだったことでしょう。なら私は一面の光景にさも慈悲深く同情したりせず、ただただ諸行無常を悟るだけで良かったのかもしれないと、まとまりのない記事を書いてみただけです。(自然環境保護の話は別として。)和道おっさんのツッコミにたじたじしつつ。
     ネット上で谷先生の発言に続いたコメント類には「興福寺さんも現状を直視して放生会のあり方を再検討してはどうでしょう」という類が多数ありましたが、私がこの記事の趣旨の訳の解らないコメントをしてからは議論が急速に萎みました。
     私はネットの世界で往々にみられるように、直に単純に善悪や正義と不正義を分けて議論することは好みません。複雑で多角的な話は落ち着いて語るべきでしょう。そういう意味で和道おっさんのコメントには感謝しています。――――煩悩具足の長谷やん

    返信削除
  3. 全く本筋と関係のないコメントで済みませんが、ドジョウは種類にもよりますが各地で絶滅危惧種扱いになっておりまして、たぶん池に撒くほどにいないと思います。かつて、ドジョウを求めて各地をさすらった私ですが、20年前に四万十川に行った際にすでにドジョウが激減していると資料館の記事を見て、ここで見つからへんかったらいよいよあかんなと思ったのを思い出しました。

    返信削除
  4.  ドジョウさん、とんだとばっちりで引き合いに出してごめんなさい。

    返信削除
  5. ドジョウが出て来てコンニチハ、仏道から自然環境問題まで話が広がっていくのがyamashirodayoriの魅力ですね、私もついでにコメント。インドでPM2,5がすごいことになり、このままでは平均寿命が3年短くなる、という発表に、インドの科学省の次官が「科学的根拠がない、所詮人間は輪廻転生するもの、多少寿命が短くなっても問題ない」と発言。思わずこけそうになりましたが、さすがインド、懐が深い。

    返信削除
  6.  次官殿のご高説にむむむむむ。
     現世の諸事と心の問題をごちゃまぜにするのは戴けませんね。
     また、晋三君のように、心の問題であるかのように偽りながら帝国憲法型国家に誘導するのも論外でしょう。面白いコメントをありがとうございます。

    返信削除