2013年6月30日日曜日

制服どうにかなりませんか

  5月18日に「法華堂 再び」の記事を書いて、そのコメントのやりとりの中で修学旅行や遠足の子供たちの制服について「もうちょっと臨機応変に対処できないのだろうか。」と呟いた。
  ・・・・同じことを重ねて言いたい・・・・。

ネットから
  6月の奈良は毎日30度を超えている。新聞記事では学校での熱中症が毎日のように報じられている。(6月下旬になると気温が下がったが、湿度の高さは変わらない。・・・ただし、28日は嘘のように涼しかった。)
  にも拘らず、東大寺や春日大社周辺ですれ違う女子中学生や高校生の中には相当な比率でベストやカーディガンを着ている子供たちがいるのだ。
  引率の先生方は何の疑問も持たないのだろうか。
  「夏の奈良修学旅行は軽装にしないか。」と言うような議論が学校で話されないのだろうか。
  そんな議論さえないのだとすると、教育現場の管理体制というよりも(それも大いにあるだろうが)一人一人の教員の感受性に問題がありはしないか。
  『でもしか先生』や『ことなかれ主義』という言葉が昔あったが、極まった感じを私は受ける。
  「学校の現場を知らない気楽な評論だ。」との反論を想像してみるが、どなたかご意見をいただけませんか。

  私は、明らかに不合理な制服で奈良を歩いている学校があると思う。
  そして、こんな不合理を不合理と言わさない教育からは、創造的な学問や芸術は生まれないように思う。
  制服の統制美にやたらに心酔するのは北方のそっくり返った変な歩き方を自慢げに眺めておられる将軍様と変わらないと言ったら言い過ぎだろうか。

 鑑真和上大遠忌法要の朝、どういういきさつかは知らないが、大仏殿中門正面前に並んで元気に大合唱をしている学校があった。観客がほとんど(いや全く)いないので、正面中央で観させてもらった。そして、思いっきり拍手を送っておいた。もちろん涼しそうな服装だった。「いい学校だなあ。」と思った。こんな学校もあり先生もいる。

  それはさておき、奈良公園には外国人旅行者も多い。そして、勝手に北欧だろうかと私は想像するのだが、冬季にノースリーブの女性も珍しくない。ほんとうである。奈良公園の散策レベルでも「世界は広い。」と感心することも少なくない。

 6月下旬は梅雨の季節と期末テストのせいだろうか、遠足や修学旅行がガクンと減っている。大仏殿の「鼻の穴」も「只今の待ち時間0分」だから、近隣のお方は今が奈良観光のお勧めである。
 中国人家族がいたので、ジェスチャーでその子供に「鼻の穴」を潜るように勧め、親に出口側から写真を撮るように勧めた。 お節介かと思ったが本人たちも喜んでいたし、出て来た時に私が拍手をしたら周辺の参拝者みんなが和やかな顔つきで一緒に拍手をしてくれた。
 だんだん自分が「変なお爺さん」になってきたような気がする。

3 件のコメント:

  1.  今日は「夏越の大祓」に行こうかと思っていたが急遽「孫守」になった。優先順位は断然「孫守」だから孫とヤマモモ採取に励んだ。孫はヤマモモ大好きで「もう食べるのはおいときましょ」と止めるのに必死になった。大祓の方は「水無月」をいただくことで「祓ったつもり」にした。
     原発避難者や生活保護周辺での自殺者が増えている。仕事にかかわる自殺やメンタルの不調も増加している。そういう社会の現実を直視すると本気になって祓わなければならない「罪」は重い。この方の大祓は7月21日に行いたい。

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  2. 修学旅行の制服は、先生方からすれば自分の学校の生徒がすぐに見分けられるという便利さが、一番の理由なんやと思います。普段の通学ですらそう言われてました。

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  3. mykazekさん、コメントありがとうございます。でもね、例えば夏期の男子は白のカッターシャツと黒ズボンばかりで返って見分けがつきませんから、その理由は十分な説得力を持たないのではないでしょうか。
     制服には学校のレベル?に伴って劣等感や優越感まで裏打ちされています。劣等感を持たされた制服の生徒たちにも思いをはせて考える必要があるでしょう。
     私自身は思春期の自我だとか個性というものに敏感に反応したい時期に、決められた枠に閉じ込められようとしたことはとても嫌でした。

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