天の香具山・ネットから |
春過ぎて
夏来るらし
白たへの
衣干したり
天あめの香具山
を語ろうとするのは・・・、可愛い孫の夏ちゃんの名がこの歌に基づいていると、夏ちゃんのお父さんが話すからである。
その一、白たへの衣
よく思い出せないのだが、ずーっと以前にどこかの講義を聞いていたとき、「当時の白妙の衣というのは喪服のことだよ。」と言われたのが印象に残っており、心の奥に刺さったままでいた。(香具山宮の高市皇子の挽歌に「白たへの麻衣」がある話だったか?)
そこであれこれ本を読み漁ってみたのだが、少なくともこの歌の裏の意味が実は挽歌であるというような説は全くないようである。正直なところホッとした。孫の名前の由来が挽歌では爺ちゃんの心は穏やかではない。
では、その「白たへの衣」は喪服でなければ何なのか。「白たへ」という言葉自体が意味を持たない単なる枕詞と書いてある本もある。ごく普通には衣替えの夏服と多くの書物に書かれている。なかには「乙女の肌着」というような艶っぽい解説もある。しかし、その時代(飛鳥~藤原京時代)の日本国の中で最も神聖な神の山である・・・・。??? 衣替えの夏服も肌着も納得できない。
上野誠先生は、「神聖な香具山に、初夏に衣を干したように見えるのは、年中行事の一つの儀式に伴う、その当時知られた光景だった・・・・はず。」「だから、誰もがその光景を見たらああ夏がやって来たと実感できたのだ。」と指摘されている。なるほど説得力がある。お祀りの前に装束である白たへの衣を干すように並べて準備をするようなイメージだろうか。
先生は、『「らし」というのは非常に強い言い方で、推量ではなく根拠のある推定を示す助動詞である。示されるその根拠は、「白たへの衣が干してあるから」ということになる。』と述べておられる。
その二、百人一首
言うまでもないことを言うが、この歌は、万葉集よりも新古今=百人一首の方が有名である。
そして、そこでは・・・、春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣乾すてふ 天あまの香具山 となっていて微妙にニュアンスが異なっている。
この差について犬養孝先生は、「平安から後になると歌のゴツゴツしたのを嫌うようになる。その結果、実感が殺されてしまう。ところが万葉は実感本位だから、春過ぎて夏来るらしでピシッと切れて、白たへの衣干したりでまた切れて、天の香具山とどっしりと地名をすえて、季節のうつりかわりを訴える女の人らしい清新な響きをみごとに表している。」と解説されている。
それでいい。ドライにピシッと決まった万葉歌は、大和三山トライアングルの内側で生まれた孫娘の名にふさわしい。
以上、この記事は文学論ではなく100%爺ばか日誌であるので、念のため。
ついでに、先日「鯛の鯛」の記事を書いたので、『こんな万葉歌も見つけた』というものを・・・おまけに。
醤酢に ひしはすに
蒜搗き合てて ひるつきかてて
鯛ねがふ 鯛ねがふ
我にな見えそ 我になみえそ
水葱の羹 なぎのあつもの
上野誠先生の解説は・・・、
もろみに酢
蒜を搗き加えた
鯛を食べたい!
わたしには見せて欲しくない・・・・・・・、
水葱が入った安物のスープは。
日本人のグルメぶり、というか食への執着は面白いですね。それはそうと昨晩のNHK「クローズアップ現代」見ましたか?「オノマトペ大増殖の謎」となかなか興味ある内容で、年寄りが発音しにくい「きゃり~ぱみゅぴみゅ」もオノマトペでした。日本だけがなぜ、大増殖しているのか?長谷やん流の解釈を一つお願いします。
返信削除クローズアップ現在、残念ながら見ておりません。
返信削除オノマトペの話ですが、私は小学校のときにトットちゃんではありませんが個性的な教育を受けました。当時はあの戦時体制への反省が教育のいろんな分野で模索されていたのでしょう。
先生は、文を書いたり語ったりするときに常套句というものを非常に嫌っておりました。曰く、常套句で脳内の処理を行うと真実が見えなくなり誰かの作った概念に洗脳されると。(もちろん今流に言えばです。)だから、既存のオノマトペでなく、各自が感じたままの独自のオノマトペを褒めてくれました。
ですから一般論ですが、大増殖している?らしい新しいオノマトペに私はあまり抵抗がありません。
若者たちが、かつての大人たちが「これこれはこうである」式に言い習わしてきたオノマトペに抗して新しいオノマトペを使用するのは、嘘っぽい現代社会に対する不服従の感情でもありはしないでしょうか。
だから大人たちは生理的に「子供っぽい」だとか「乱れている」とか言って嫌悪感を露わにするのではないでしょうか。
この記事は、私の子供達夫婦が孫によい名前を付けてくれたものだという爺馬鹿の記事ですが、私がその息子に名前を付けた折、実母がその字画を書いたメモを見つけたのですが、そのメモには凶の字がいっぱい並んでいました。ああ。
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