2013年6月23日日曜日

石流るとも


  「石流れ 木の葉沈むとも」とは、 あまりの理不尽の例えであるが、そんな題名の演劇を観てきた。
  ストーリーは、かのダイキンであった、・・そして現在も進行形のドキュメンタリーとでもいえばいいだろう。

 長い人で20年間も偽装請負、違法派遣で働かされてきた労働者が、労働基準行政の是正指導を逆手に取って一旦有期社員に「改善?」され、ただし、更新すれば「黙示の継続労働契約が推定され期待権の保護が必要になる。」ということで、203名が2年半の有期雇用契約期間満了雇い止めされ、別に240名が雇い入れされたものである。
 経営不振によるリストラでさえない。
 雇い止めされたのは部品ではない人である。配偶者もおれば子も親もいる人間であり家庭である。
 私は、これは間違っていると思う。

  そういう非正規労働者の雇い止めが劇のテーマであるが、考えようによっては現代社会に蔓延している出来事?・・ワーキングプアの問題を根源から問い直しているものといえる。

  日本の(戦後の)労働法は、精神的には、戦前の人身売買、タコ部屋的な環境の否定・・中間搾取の禁止からスタートした。
  しかし、世の中には常に法の裏をかく者たちが暗躍し、請負や外注や派遣など名前はいろいろだが、日本を代表するメーカーの工場の中には本社社員のヘルメットに混じって(あるいはそのヘルメットは見えずに)、重層的な下請けを露骨に示す各色のヘルメットたちが働いていたりした。(臨時的補助的業務でない。正社員の指示の下に基幹部分を担っていた。)
  そして、「それはおかしい」という声が当然起こり法規制の世論が起こったが、それ故に、例えば労働者派遣法の制定、改正等が焦点になったときがあるが、そのそれぞれの山場というか土壇場で、必ずと言って良いほど「(違法状態の)現実を無視できないから、まずは段階的に・・」という腰砕けというか裏切りが当時の社会党によってなされたことを私は忘れることはできない。
 その後私は異業種の方々と懇談する機会も多々あったが、その都度「この悪法は日本の労働現場を荒廃させるだろう」と言い続けてきたが、不幸なことに指摘どおりに時を経た。
 そういう中でも特筆すべきは、労働行政による偽装請負、違法派遣の告発であったが、それに対抗する脱法行為が有期雇用・雇い止めで、それが今回の劇の主題であった。
 雇い止めされたダイキンの有期間雇用労働者の提訴等のたたかいは同情の対象などではない。、勤労者の半数とも言われる非正規雇用労働者にとっては天草四郎のように私には見える。

  さて、総評解散、連合発足以降日本の労働運動が低迷したことは明らかだ。そして、広義の労働運動の水準を超える労働法や労働行政を期待するのは困難なものである。
 しかし、国公労連傘下の公務員労働者は行政研究や行政民主化の運動を続けている。希望はある。
 近頃の自民や維新のキャッチコピーは「既得権益の打破」であるが、結局その対象が正規労働者、年金受給者、福祉受給者で、庶民どおしで分断と足の引っ張り合いを煽るものであるが、その欺瞞が明らかになる中で、早晩新たな連帯の運動が発展するに違いない。現に連合傘下の労働組合でも非正規労働者の組織化や正規雇用の要求が取り上げられている。
 久しぶりに演劇を観ていろんなことを考えた。文章はまとまらない。
 「労働力は商品ではない。」 これは、小泉改革、民主の「仕分け」、安部ノミクス「規制緩和」政策に対して絶対に譲ることのできないアンチテーゼである。
 もう一度言おう。労働力は商品ではない。人間である。

2 件のコメント:

  1.  この演劇はケレオ大阪西のホールで金土3回公演で、私は金曜日に行ったのだが、386席が埋まり立ち見まで出るという盛況振りだった。
     劇団きづがわ、立派なものである。
     

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  2.  小泉規制改革会議や現安倍規制改革会議の主張は「労働力は商品だ」で、労働基準行政つまり規制をなくして市場に任せれば、社会の中の最も労働力を必要としているところに労働力が移動し経済が発展するという夢物語である。
     ダイキン争議団が天草四郎だと言った所以はそこにある。
     配偶者を抱え、親を抱え、子を抱えた労働者は労働市場で如何にして商品代を引き上げ得るのか。
     底なしの労働ダンピングが待っているだけである。
     本当は怖いアベノミクス。参議院選挙の対決軸が自共となっていることは明白だ。

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